ある丹波の老人の話(20)
大正三年に、あの欧州大戦が勃発しました。
糸価が大暴落したので、波多野鶴吉翁の郡是製糸会社は払込資本金十四億余円に対して、三十余億円の大損をしてしまいました。
当時「これで郡是はつぶれる」という噂が高まり、二十円株がわずか四、五円の安値に落ちてしまったのです。
波多野翁に満腔の崇敬と信頼を表し、大の郡是びいきだった私は、情けなくてたまりませんでした。
波多野さんほどの人のやる仕事がつぶれるような気遣いはない。いま悪くともきっと立ち直ると確信していた私は、金があればあの際限もなく下がっていく株を片っ端から買って、郡是を救いたい。波多野さんを助けたいと思ったんやけど、まだ借金地獄にあえいでいる私に、株を買うような金なんて一文だってありはしまへんどした。
その頃、蚕業講習所拡張のため、傍にある私の所有地三畝歩あまりの桑園を売ってくれと教師の西村太洲君から話がありました。
そのとき私はようやく差し押さえを解いてもらうだけの返金はしていたとはいえ、まだ残りの借金が山ほどあって、この桑園も二重三重の抵当に入っとりましたから、売るにしてもその分を払ってからでないと不可能やったんです。
それに「そんなことをしたところで、私の手に入る金よりは債権者に渡す金が多いに違いないから、余裕のない私にはとてもできない」と断ると、西村君は、「そこはうまくやるつもりだから僕に任してくれ」というんでした。
ところが、それからしばらくすると西村君がやってきて、
「万事うまく行った。これだけ余った」と言って、五十四円という当時では少なからぬ金を私に呉れたんです。
これはそれこそまるで夢のような話で、私はなんだかタダからお釣りをもろうたような気がしたもんでした。 (第四話 株が当たった話その1)
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