照る日曇る日 第425回
本巻では9世紀半ばの文徳天皇から11世紀半ばの後冷泉天皇までのおよそ200年間の摂関政治の時代を取り扱っているがなかなか面白かった。
ひとつは「望月のかけたることも無しと思へば」と歌った藤原道長も結構苦労を重ねていることで、次兄道兼の突然の伝染病死や長兄道隆の子伊周、隆家の失脚がなければ寛仁2年に栄華の頂点にまで上り詰めることも不可能であっただろうし、「一家三后」の空前絶後の快挙も、愛娘彰子付きの女房、紫式部が「源氏物語」を書くこともなかったであろう。しかし道長と三条天皇との確執は相当深刻だったようで、それは三条を激怒させるほど強引な画策を行ったからである。
望月の歌が詠まれたのは一六夜で、本歌は能天気な自己賛美ではなく、むしろ栄華の儚さを謳っているという指摘も、げにさもありなんと思われた。
もう一つは天皇と穢れの問題で、後一条以降、天皇は観念上は在位中は死去しない「不死の存在」となり、内裏は、国境の外部の穢れに満ち満ちた異界とは対極にある「浄」の中心となって(宇多天皇などは御簾越しに「蕃人」と対面する)、平安朝から神国思想が誕生したという指摘である。
三つ目は、この時代の怨霊の祟りの猛威で、著者は醍醐天皇を呪い殺したのは菅原道真であり、藤原道長が地獄の三丁目に突き落とされなかったのは追放した政治的ライバルの伊周や隆家の配流を一年にとどめて京に戻したり、自分が強要して皇太子を辞任させた敦明親王に対して太上天皇並みの待遇を与え、自分の娘寛子を納れたからだ、と半ば信じている気配があるのはまことに微笑ましく、これまたさもありなんと思われた。
この時代にはもはや誰が天皇になっても、摂関や蔵人所や検非違使が天皇の機能を代行できる体制が確立されたと説く著者は、それでは天皇独自の存在意義は何かと最後に自問して、大嘗祭、新嘗祭、神今食における神との共食儀礼と「神器」の保持継承であると自答し、昭和天皇は、それなくして国体が護持できない「三種の神器」の保全のためにポツダム宣言を受諾した(「昭和天皇独白録」)、と指摘している。
これを私流に換言すれば、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」と同じように、「三種の神器」を所有している者が支配者になれる訳だから、われら忠良なる臣民どもが、皇統の後継者についてとやかく詮議立てをする必要は毫もなさそうである。
わが庵に咲くやこの花オオシマザクラ 茫洋
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