鎌倉ちょっと不思議な物語55回
音楽評論家にして最後の文人作家、吉田秀和氏は、2003年に愛するバルバラ夫人を亡くされ失望落胆の日々を送られていたが、最近ようやく再起されたようである。
朝日新聞、「レコード芸術」、「すばる」などに健筆を振るわれているのはご同慶の至りである。
その吉田氏が「中原中也のこと」というエッセイで彼の思い出を語っている。
『中也がもっとも好んだのは百人一首にある、♪ひさかたのひかりのどけきはるのひに しづこころなくはなのちるらん の1首だった。これを中原はチャイコフスキーのピアノ組曲『四季』の中の6月にあたる「舟歌」にあわせて歌うのだった。彼は枕詞の「ひさかたの」はレチタティーヴォでやって「光のどけき春の日に」から歌にするのだったが、そこはまたあのト短調の旋律に申し分なくぴったり合うのだった。私は彼にかつて何をせがんだこともないつもりだが、もしこういうことが許されるのだったら、彼にもう一度この歌を歌ってもらいたい。』
中也にフランス語を教えたのが小林秀雄で、吉田氏にフランス語を教えたのが中也だから、小林は吉田氏の大先生ということになるが、小林は晩年、現在の吉田邸の向かいに住んでいた。ちょうどその頃、私は由比ガ浜に向かって背筋をピンと伸ばして歩いていく小柄な男に下馬四つ角でぱったり出くわしたことがあるが、それが私が小林を見た最後の姿だった。
小林秀雄はグレン・グールドが死んだ翌83年に死んだ。小林は英国のピアニスト、ソロモンの弾くヴェートーヴェンが好きだった。
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