降っても照っても 第7回
2つの人種がある。ひとつはロックする人であり、もうひとつはロックしない人である。
これらの人々が小説を書くと、前者からは高橋源一郎のごときロック小説が生まれ、後者からは渡辺淳一や石原慎太郎の如き非ロック小説が生まれる。音楽もまたコレに準ず。
ところがこのロックする人のなかにあって、稀に町田康のやうにパンクする人がいる。
町田康の「真実真性日記」は、まあ、そのおう、いわゆるひとつのパンク小説である。
内面に煮えたぎるカオスはたえず外界にあふれようとし、作者は四分五裂する己をかろうじて抑制しようとするところに、これらギタギタの妄文が生まれる。
それはパンクな音響を湛えた乱反射文学である。ロックはローリングストーンズのように古典化したり老成化したりできるが、パンクにはそれが許されないのである。
さうして町田康は、いずれ平成の不如帰となって逗子の海岸に真紅の血を吐くだろう。
さういえば近頃世間では、パンキーなやくざどもがピストルやマシンガンやバーズカ砲で市長や市民をバンバン撃ち殺しているやうだが、いったい「にゃろめの警官」はなにをしているのだ。
亡霊と化した青島や植木といっしょに国会や都庁に乱入して、一刻もはやく山口組をはじめとする超右翼体育会系暴力団を徹底的に退治せよ。にゃろめ!
No comments:
Post a Comment