ある丹波の老人の話(17)
私は「今は金がないが、けっして不義理はしないから、これだけでできるだけ多くの商品を卸してください」と十円を出して頼むと、主人は案外快く承諾して五十円ほどの下駄と下駄の緒を送る約束をしてくれました。
この勢いで第二の店、第三の店へ行き、五円ずつ金を渡して商品を送ってもらう約束をし、それが豆仁という運送屋に出荷されるところまで見届けて郷里に戻ったんでした。
それから秋祭りももう終っており、時期はずれではありましたが、私は赤提灯を五つ六つ店の軒にぶらさげて下駄の大安売りを開始し、元値を切っての大バーゲンを敢行したんでした。
案の定安い、安いと飛ぶように売れたので、私はその金を持って再び大阪に行き、前の残金をきれいに払い、今度は前金なしに前より遥かに多く三つの店から商品を卸してもらいました。
それがちょうど年に一度のエビス市に間に合い、私はまたもや元値を切ってジャンジャン下駄を売りまくりました。
毎日毎晩お客がアリのように群がり、おもしろいほどよく売れました。
そして「この町は下駄がめっぽう安いげな」という評判が立ち、福知山や舞鶴からも買い手がやって来るようになり、私の店ははやりにはやりました。
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