勝手に東京建築観光・第10回
東京ミッドタウンの乃木坂寄りには庭園があり、その奥には三宅一生氏などが立ち上げたデザイン開発の拠点「21-21デザインサイト」が低くかがまっていた。
設計はおなじみの安藤忠雄であるが、ここのコンセプトが三宅一生の“1枚の布”から生まれたものであるという安藤の主張はきわめていかがわしいものと思えた。
まあ一種のこじつけであろう。しかしながら、この「低く地面にかがまっている姿勢」は、その右側にまるで権力の象徴のように高く聳えるパワータワー(オント! オント!日建設計)よりも少しく謙虚であり、いくぶん知的であり、しかも、驚いたことにはそれらの虚塔より目立ってもいるのである!
超高層よりも低層平屋建てのほうが、豊かで人間らしい建築物であることは、すでに70年代から磯崎新などが唱えていたし、実際に磯崎が新宿副都心都庁案で師丹下健三のノートルダム案と敗北覚悟で張り合った提案でもあった。
だから安藤の「地上すれすれ案」とか「地下沈没案」などは磯崎案の周回遅れのアイデアかもしれないのである。
安藤は素朴な創案家だが、建築の先達のコンセプトを臆面もなく剽窃するし(「光の教会」など)、やれ環境だの、緑だの、花だの、人間性だのと、そのつど派生する流行のトレンドにはきわめて敏感な人だ。そうしていつものことながら細部の仕上げは見事な手際である。
しかしそのやり口を岡目八目よろしく眺めていると、彼特有の骨太コンセプトの適用がかなり大ザッパで、実際は環境問題の本質などには肉薄していないことが分かる。
例えば安藤は震災後の神戸にうるおいを取り戻すため、町のいたるところにハナミズキを植樹することを提案し、行政側に受け容れられた。
その結果、ほんらい神戸の植生とはまるで無関係な米国産のこの白い花は次第に神戸の市内に氾濫し、街は遠からずハナミズキだらけになるだろう。
それは新しい神戸らしさの植え付けには寄与するだろうが、海を渡ってやって来た古代の神々が戸をたたいたと伝えられるこの小さな漁港の来歴と風土と動植物にふさわしい贈り物であるか否かは、はなはだ疑問である。
またこれは安藤が手がけた淡路島の淡路夢舞台と直接関係はないと思うが、この島では様々な花を植えて全島で島起しをはかっているそうだ。
しかしながら、淡路島伝来の植物を夜郎自大に外部から持ち込むことは、他の動植物の外来種侵入と同様、生態系の維持にとって好ましくないのではないだろうか。
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