さようなら中也
鎌倉ちょっと不思議な物語52回
去る平成10年10月9日から11月23日まで、鎌倉文学館で特別展中原中也-鎌倉の軌跡―が開催された。
この展覧会を見た私の記憶に今なお残っているのは、中也遺愛のコートである。
中也にはアストラカンコートを歌った詩もあるが、中原夫人美枝子氏蔵にかかる一着の黒のウールのコートにはおもわず息を呑んだ。
素材も仕立てもカッテイングも素晴らしいそれは、まるで中也の青春の象徴のようであり、詩人は死んでもその存在をまさに眼前にあるがごとく生き生きと伝えていたのであった。
肉体はたやすく死すとも、物質は遥かに長く地上に残り、孤高の詩人の魂は、父母未生以前の永遠に残るのであろう。
なおこの中也と鎌倉のシリーズでは、このときの特別展のパンフレットの記事を参考にさせてもらった。
では最後に私がいちばん好きな中也の詩を読んでください。BGMはチャイコフスキーの「四季」の舟歌か、ハイドンの中期の交響曲のメヌエットで…。
なお、この詩は中也が代々木上原の友人の下宿に泊まった翌朝に生まれたものです。
天井に 朱きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍樂の憶ひ
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦んじてし 人のこころを
諫めする なにものもなし
樹脂の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ、
森並は 風に鳴るかな
ひろごりて たひらかの空、
土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
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