鎌倉ちょっと不思議な物語51回
晩春の夕方、中原中也と小林秀雄は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。
花びらは死んだような空気の中をまっすぐに間断なく落ちていた。
花びらの運動は果てしなく、小林は急に嫌な気持ちになってきた。我慢ができなくなってきた。
その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいいよ、帰ろうよ」と言った。
小林ははっとして立ち上がり、「お前は相変わらずの千里眼だよ」と吐き出すように応じた。
中原はいつもする道化たような笑いをしてみせた。
それから二人は八幡宮の茶店でビールを飲んだ。
夕闇の中で柳が煙っていた。
『中原はビールを一口飲んでは「あヽボーヨー、ボーヨー」と喚いた。「ボーヨーって何だ」「前途芒洋さ、あヽボーヨー、ボーヨー」と中原は眼を据え、悲しげな節をつけた。詩人を理解するということは、詩ではなく生まれながらの詩人の肉体を理解するということはなんと辛い想いだろう…。』
(小林秀雄「中原中也の思い出」より)
余談ながら、私の俳号である芒羊はこの下りと漱石の三四郎の「ストレイシープ」からとりました。
愛するものが死んだ時には
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも業が深くて
なほもながらふことともなったら
奉仕の気持ちに、なることなんです。
奉仕の気持ちに、なることなんです。 「春日狂想」
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