Tuesday, April 17, 2007

吉田秀和とバルバラ

鎌倉ちょっと不思議な物語54回

 私は評論家吉田秀和夫妻が手に手をとって、中原中也が死んだ清川病院の傍をゆるゆると歩いている姿を見かけたものだ。

平成15年10月、吉田秀和の妻、バルバラは半年間に及ぶ入院生活ののち、骨盤内腫瘍悪化のため76歳8ヶ月の生涯を鎌倉雪ノ下で閉じた。

ベルリン生まれのバルバラは、自分の故郷は変わってしまったので、死んだら吉田の先祖の眠る墓に埋めて欲しい、といって、和歌山県那智勝浦の町外れにある吉田家先祖代々の墓に葬られたという。

バルバラは、死の直前まで永井荷風の「断腸亭日乗」のドイツ語訳に心血を注ぎ、昭和12年の1月分までをようやく完成し、痛みをこらえながらベッドで腹ばいになって校正し、訳者の序文、あとがきを書き終え、装丁も自分の好みのものを指定してから亡くなった。

バルバラは「源氏物語」をはじめ平安期以降の日本女性の文学の素晴らしさに気付き、宇野千代、円地文子ら現代作家の短編集を欧州に紹介し、田山花袋、谷崎純一郎、川端康成などに関心を持ち、永井荷風の「墨東奇譚」を全訳し、漢学の素養を生かして「断腸亭日乗」の全訳に取り組んだのだった。

バルバラを失った吉田は、翌平成16年秋、「二人でいたときが一番幸せだった。オルフェオとエウリディーチエの神話のように黄泉の国に行って妻を連れ戻したい、とほんとうに思う」と語ったという。


(以上、07年2月2日号「鎌倉朝日」掲載の清田昌弘「かまくら今昔抄」より抜粋。写真はイタリア北部のマントバ近郊で発掘されたおよそ6千年前の新石器時代の抱き合う男女の遺骨)

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