鎌倉ちょっと不思議な物語25回
昔シロツメクサ咲くこの野原で、耕君、健君、ムクたちと遊んだり、四つ葉のクローバーを探したものです。
ところが数年前にくそったれ土建屋の手であほばかマンションが建つというので、例によって市の発掘調査が行われた結果、なんとここが鎌倉時代の最大の葬儀センターであったという事実が判明しました。
つまり前回紹介した鎌倉時代のエリートたちを矢倉(やぐら)に埋葬する前に、この焼き場で僧侶が盛大に慰霊してから骨を焼いたのです。
ですからわが太刀洗周辺は、地区全体が死者をこの世からあの世に送る聖なる場所であり、鎌倉幕府いや中世最大の死者慰霊センターであったのです。
近い将来には市、県、国が資金を出し合って中世国立墓地を記念する遺跡公園にするという計画が発表されましたが、いまはこのように閉鎖され雑草が生い茂っています。
この世でもっとも貴重なものは、汚れなき魂と人に見捨てられたくさっぱら。
なので、できたら頑張って世界遺産などに登録もしないで、間もなく人類が滅びるまでこのままにしておいてほしいのですが…。
ダメ?
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