鎌倉ちょっと不思議な物語24回
鎌倉時代の貴族や武将などのエリートが死ぬと、火葬されたあとで山麓の鎌倉石を切り開いた直方体の空間に葬られました。それが「矢倉(やぐら)」です。
エリート以外の一般大衆はというと、たとえ死んでも狭い鎌倉でそんな贅沢は許されないのでそのまま山野に遺棄されるか、海岸の砂の下に埋められました。
鎌倉には無数の矢倉がありますが、昔から我が家の近所の矢倉の中のどこかに大量の埋蔵金が隠されているという噂があります。
そこで、何を隠そうこの私も、雨が降っても、槍が降っても、また昨日のように大風が吹いても、およそ30年以上にわたってこの辺で毎日のように黄金探しを続けているのですが、どっこいそう簡単に見つかるものではありません。
写真はすでにうちの健ちゃんとムクが捜索済みの矢倉ですが、残念ながらこの立派な矢倉には埋蔵金はありませんでした。
しかしこの矢倉は幕府から六浦港に至る交通の要所に位置しているうえに、小高い丘の上にあったために、おそらく幕府の兵隊が常駐して警戒に当たっていた隠し砦であったと思われます。
ちなみに当時の兵士は刀と弓で武装していましたが、彼らは長弓の名人ぞろいでおよそ100メートルの距離からの命中率は9割以上であったそうです。
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