よみがえる伝説のフォーク
昨夜のBS2でフォークを歌う奇妙なおじさんに出くわした。
杉田二郎という人が、じつにへんてこりんな、しかしじつに無理のない発声で自在な歌を自由に歌うのである。
北山修や加藤和彦、はしだのりひこは知っていたが、この人が70年大阪万博の年に大ヒットした「戦争を知らない子どもたち」を作曲者とは知らなかった。はしだのりひことシューベルツの名曲「風」も彼の作品だった。
1963年11月22日の金曜日の午後一時、私は左京区田中西大久保町の路地で立ちつくしていた。近所の家から聞こえてきたFEN放送が、「プレジデント・ケネディー・ワズ・アササンド! ジス・イズ・ザ・ファーイースト・ネットワーク」と叫んでいた。
そして翌年私は上京したが、さらにその翌年の1965年にザ・フォーク・クルセダーズが結成された。そして70年代初頭の京都はフォーク全盛の黄金時代を迎えた。
けれども私は、そんな京都とはまったく知らずに独りで東京に出てきてしまったので、善ちゃんの医大の同級生である偉大な北山修氏以外は知らないのである。フォークはおろかあらゆる音楽とは無縁の数年間がそのあとしばらく続いたのである。
さて、杉田二郎の歌唱はなかなかよかったが、ゲストの庄野 真代 とのデュエットもよかった。
この人は若くしてイスタンブールまで飛んでいった人だが、昔から旅行の好きな人で、私は彼女が前の旦那と世界一周旅行していたときにバハマで会ったことがある。
庄野 真代は当時に比べるともちろん年を取り、いろいろ苦労もしたのだろうが、それらがすべて歌のキャリアを形作っていた。飾りのない透き通った声で、二郎と調和の幻想を奏でた。
また若いトキハイのボーカルはとてもよい声で「戦争を知らない子どもたち」を歌い、続く二郎との協奏もよかった。
かつてはフォークなあんて、なんてばかにしていた私だが、数年前電撃的に友部正人の「1本道」が落雷し、それから耕君に吉田拓郎の魅力を教えられていらい、すっかりこのジャンルの素晴らしさに目覚めたのである。
そこには電気増幅で決定的に失われた人間の歌と楽器の原初の姿が、まだ霜日の朝顔のように人知れず輝いていた。
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