Tuesday, December 19, 2006

ふあっちょん幻論 第1回

ファッションビジネスの混迷と停滞

私はながらく日本のアパレルメーカーに勤務していましたが、残念ながら視野が狭くて、世界の中の日本ブランドという意識が欠落していました。

社内でトップの売り上げを達成しようとか、国内でナンバーワンになろうとかは考えていましたが、本気で欧米のトップブランドに勝とうなどと思ってはいませんでした。  70年代までにわが国では(若者はいざしらず)大人が満足できるそれなりの国産衣料品や雑貨は都会の百貨店へいけばおおかた入手できました。  ところが80年代になると、国内企業が国内の消費者のウオンツを的確に把握することができなくなり、その間に海外勢力が怒涛のように侵入してきたのです。  それからさらに20年。気がつけば高級品は外資系のラグジュアリーブランドに、実用品は中国からの輸入ブランドに席巻されています。

そしてこのことは識者によって60年代から予見されていたにもかかわらず、結局現在もきちんと対抗対策の手が打たれているとはいえません。  かろうじて2年前から東京コレクションの強化とかクールビズの立ち上げなど政府主導型のアパレル振興政策が打ち出されてきましたが、ほんとに必要なのは、そういう「上からの改革」ではなく、アパレル産業関係者自身による民間主導型の「下からの改革」ではないでしょうか?  では各人が各自の立場でどうしたらいいのか? それが問題です。  私は若い世代の人々が自分流に満足できる個性的なブランドを立ち上げ、国内のみならず世界市場にどんどん進出することを心から希望し、期待するものですが、そのためには我々が30年間にわたって失敗しつづけてきた旧世代の既存のやり方をよく研究し、その批判的な検討のうえに立って再度国際競争の最前線に出ていってほしいと思うのです。  具体的にここでその方法論を述べるつもりも余地もありませんが、最近アーチストの村上隆氏が書いた「芸術起業論」がこの問題を考える上で参考になると思われます。  村上隆氏は、「芸術家は世界の本場で勝負しなければならない」と説き、そのための道のりを、1)まずは本場の欧米で認められる。2)次に欧米の権威を笠にきて日本人の好みにあわせた作品を逆輸入する、3)そしてもういちど芸術の本場に自分の持ち味を理解してもらえるように伝える。
の3段階を想定しました。  そして「スーパーフラット展」でアメリカに認められ日本で作品を展開し、05年の「リトルボーイ展」でほんらいの自分の思うリアリティを表現できた、と3段階戦略の成功を総括しています。(同書113p)  しかしそこに至るまでは食うや食わずの悲惨な貧困と努力の生活が何年も続いたわけですが、やはり今日の村上隆を作り上げた最大の要因は、こういう戦略を自分に課し、それを懸命に実行したことにあるのではないか、と思わざるをえません。  ファッション界でクリエーターを目指すのも、まったく同じことだと思います。
村上氏は37歳のときにコンビニの裏口で弁当の残り物を貰うために立っているのはつらかった、と書いていますが、そういう忍耐と辛抱強さも必要なのでしょうね。

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