Friday, December 01, 2006

鎌倉霊園、そして夢。

鎌倉ちょっと不思議な物語15回

 

今朝はちちとおじさんが眠る霊園に、ははとつまの3人で出かけました。

ここはかの悪名高き西武資本が近所の鎌倉逗子ハイランドに続いていくつもの大きな山をぶっ壊してお墓にしたのです。
頂上には総帥堤康二郎氏の壮大な墓地があります。

むかし西武グループの管理職は毎日誰かがこの墓地の隣の宿舎に泊まりこんでいました。さらに毎年大晦日の夜には、すべての管理職が東京からバスに乗ってこの墓地に大集合し、元旦には遠く富士山を望みながら(写真)偉大な創始者に年頭の挨拶をしたそうです。まるで北のどこかの国の儀式のようですね。

私は鎌倉には30年くらい前に住み着いたのですが、当時お隣の家のご主人が国土の課長さんからそんな話をきいたものです。西武流通グループも崩壊し、義明氏も不祥事で退陣し、おごれるものは久しからず、ああ、昔の光いまいずこ、です。

たくさんのお墓の中にはたくさんの死者たちが眠っています。

中には帝国ホテルに住んで藤原歌劇団を設立したわれらのテナー、藤原義江などの有名人もなんねぐーしています。

その中にコークが3本も供えられている19歳で亡くなった人のお墓がありました。石碑には純と刻まれています。きっと彼はコークが大好きだったのでしょう。

また音楽院という戒名の25歳で亡くなった女性のお墓は、翔という文字が刻まれていました。いずれもご家族の気持ちが痛いほど伝わってくるようでした。

そのほか墓石には空、慈、憩などと書かれたいろいろな墓碑銘が並んでいます。
読めないアラビア語やRest here for next lifeという英語もあり、死者の不抜の信念に感銘を覚えました。

ははから、「倶会一処はなんと読むの?」と聞かれたので、「ともにいっしょにかいす、でしょう」と答えてから、帰宅して調べてみましたら、「くえいっしょ」と音読みするだそうです。「念仏者は等しく西方浄土に往生し、一つところに相会うこと。阿弥陀経に「諸上善人倶会一処」とあるところから出た仏語」と、大辞林に出ていました。でも「みんないっしょにねんねぐー」という解釈は間違ってはいませんね。

ちなみに平成9年に亡くなったうちのちちのは、「そして夢」です。家族みんなで相談してこれに決まったのでした。

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