バガテルop136 &鎌倉ちょっと不思議な物語第242回
昔から惰性で朝日と日経2紙を購読しているが、最近はどちらも内容があまりにも愚劣なのでほとんど読まずにほうりなげ、見るのはテレビ番組欄のみという有様だ。
毎月ゴミに出す前に一瞥しても、多少とも価値があろうかると思われる記事は、前者では水曜夕刊の美術特集、後者では日曜日の同じく美術特集と夕刊の文学関係者のエッセイ(最近はレベル低し)くらいで、日々の報道記事などは社説や識者なる有名無名の人物の論評を含めて翌日になればもはや誰も読むこともないだろう糞ダメ情報の集積で、捨てる前からすでに異臭を放っている。自家で取っていない読売や産経、タブロイド夕刊等を読んでみても、もっと程度の悪い三文赤新聞揃いである。
そのなかで毎号再読三読してバックナンバーまでを保存しているのは、「鎌倉朝日」という毎月一日に発行されているタブロイドわずか8ページの別刷り地域紙で、これを読めば当地の寺社仏閣の諸行事や音楽文化行楽生活情報が瞬時に把握できる。そのうえ小林千穂氏による「鎌倉花めぐり」、永井宗直氏による「鎌倉みほとけ紀行」や郷土史研究家、清田昌弘氏による「かまくら今昔渉」、さらに極めつけの神奈川歯科大名誉教授、赤羽根龍夫氏による「文学つれづれ」までもが連載されているのである。
今日の清田氏は「鎌倉を記憶する5」で大正12年9月1日の大震災で芳紀二十歳懐妊中の山階宮佐紀子妃殿下が由比ヶ浜の御用邸で受診中に崩壊した建物に包まれて医師の吾妻博士、侍女もろともに圧死されたという痛ましい悲劇を報じ、赤羽根氏は「中世隠者文学8」で西行は道心が深くて出家したわけでも、鳥羽院と璋子の運命に殉じたわけでもなく、「ほかになりようがなくて生活のすさびとして歌人となった」人であると断じている。
私には、この平成の「日本」紙を思わせる「鎌倉朝日」紙さえあれば、朝日本紙など無用の尻拭き紙なのだが、残念ながら本体を購読しないとおまけを読めないという仕儀なので、万止むを得ず現状を維持しておる次第であるのであるのであるん。
築地なる朝日新聞こけるとも鎌倉朝日とわに栄えん 蝶人