Sunday, May 31, 2009

鎌倉文学館の特別展「有島三兄弟」を見る

鎌倉ちょっと不思議な物語第186回

鎌倉文学館の「有島三兄弟 それぞれの青春」展をのぞいてきました。

ここはいつも平日はガラガラなのですが、この日は異常な混みようです。聞けば例の新型インフルエンザで遠出できなくなった関東一円の観光客がバラ園のあるこの穴場に殺到したとのこと。あきらめて帰ろうとしたのですが、前回の鎌倉の俳人展と同様結局は見ないままで会期末を迎えることをおそれて強行突破を図ったのでした。余談ながら上野の阿修羅展の馬鹿騒ぎも、これと同じ現象ではないかとふと思った次第です。

さて例によって一階と地下の二か所で飾られている展示物はそれほど多くはありません。有島武郎、生馬、里見弴の三兄弟にまつわる写真や作品や来歴を記したボードなどが要所要所に展示されていて、これらを半時間ほどざっと見物しました。

有島家の兄弟姉妹はたしか全部で五,六人いたはずですが、この三人はいずれも学習院に学び、明治四三年一九一〇年に志賀直哉、武者小路実篤、木下利玄たちと雑誌「白樺」に参加、小説、評論、詩、戯曲、絵画など芸術の造詣が深かったので、「有島芸術三兄弟」と呼ばれていました。

長男の武郎は札幌農学校の教師をやめて一念発起して「カインの末裔」や「生まれ出る悩み」(うまれ「でる」ではなく、「いづる」と読みます。村上某の「列島を出よ」も正しくはこれと同様に「いでよ」と読むべきで、「れっとうをでよ」は奇怪な日本語)で一躍流行作家になりました。彼の代表作「或る女」は北鎌倉の円覚寺で書かれています。若いみそらで中央公論の女性編集者と情死してしまったのは後の太宰と同様大変惜しいことをしましたが、正妻安子との間に名優森雅之が生まれたのはせめてもの慰めでしょうか。

 日本芸術院の保守的な伝統に異を唱え、二科会を興して独自の絵画の道を切り開いたのは次男の生馬。鎌倉市が所蔵している「病児」を見ると師匠の藤島武二や私淑したセザンヌの影響を感じ取ることができます。なお稲村ケ崎にあった彼の洋館は、現在長野県に移転されて有島生馬記念館になっているそうです。

 三男の里見弴は「多情仏心」「安城家の兄弟」「善心悪心」などで知られる作家で、小津安二郎と親しく、彼の依頼で映画化を前提に「彼岸花」を書き下ろしました。鎌倉市内のあちこちを転々としたことでも有名ですが、個人的には彼らよりも弴の「極楽とんぼ」に描かれた三男の隆三に最も興味を覚えます。

それから急いでお目当ての薔薇園に向かったのですが、残念ながらすこし旬を過ぎたところ。しかし腐りはじめた花もなかなか風情があってよいものです。


♪女と薔薇はすこうし腐りかけがよろし 某洋

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