Wednesday, May 20, 2009

緑薫る「安国論寺」を訪ねて

鎌倉ちょっと不思議な物語第181回

名越四つ角交差点を左に入ると松葉ヶ谷。その突き当りに日蓮が安房から鎌倉に入って最初に庵をむすんだ「安国論寺」があります。彼は53歳の時に身延山に移りますが、およそ20年をこの地ですごし、その跡がこの寺になりました。

奈良旧教や他の鎌倉新仏教、とりわけ法然・親鸞の浄土宗を非難攻撃した「立正安国論」は禅宗を保護する幕府の前執権北条時頼の怒りを買いましたが、権力者の宗教政策を真正面から批判した彼が39歳の時の主著は、このお寺の「御法窟」(日蓮岩屋)で書かれました。「法華経を大切にして国難を切りぬけよ」という決死の建白書でした。

「立正安国論」を読んだ浄土宗信者は激高してこの庵を襲いました。世に名高い「松葉ヶ谷の法難」です。危険が迫った日蓮を助けたのは1匹の白猿でした。猿はこのお寺の裏山の奥にある「南面窟」という岩屋を経て現在法性寺が建っている猿畑山に導いたと伝えられています。

日蓮は生涯に四たび法難に遭遇しています。けれども実際に日蓮が最初の法難に遭ったのはここ「安国論寺」であったのか、それとも近所の長勝寺であったのか、はたまた比企が谷の妙本寺であったのかについては諸説紛々としていて、いまなお決着がついていないようです。

「安国論寺」は創建が建長五年一二五三年ですが、それからこの「安国論寺」には増上寺から移された石灯籠、日蓮の「至高第一」と称された直弟子の日朗上人の荼毘所や日連の桜の木の杖が根付いたといわれる妙法桜、さらに土光経団連会長が私財を投じて造られた尾根の上の鐘楼もあって見逃すわけにはいきません。
(「鎌倉の寺」小事典、鎌倉ガイド協会資料を参考にしました)

♪栴檀の薄紫の花も咲きたり八幡参道二の鳥居の辺りに 茫洋

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