鎌倉ちょっと不思議な物語第182回
「名越切通」は鎌倉七切通のひとつで国の指定史跡となっています。この切通は鎌倉と三浦を結び、峠は鎌倉と逗子の市境になっています。
仁治元年一二四〇年、三代執権北条泰時の治世の際に私の近所の朝比奈切通の工事が行われたと吾妻鏡に記載されていることから推察するとおそらくこの頃にこの「名越切通」も整備されたのではないかと考えられます。
鎌倉から金沢六浦津(現在の横浜市金沢区)に向かう朝比奈切通も、この「名越切通も当時の姿をよく伝えていますが、朝比奈切通が当時の代表的な通商道路(銀座通り)であったとすれば、この「名越切通」は北条氏が最も恐れた三浦氏に対抗するために突貫工事で仕上げた軍事道路であったのではないでしょうか。
道は急峻で通行しにくく、しかもくねくねと折れ曲がり、三浦勢の攻撃と馬の進行を妨害するために巨大な岩石を埋め込んであります。峠の上からこの獣道を弓矢や岩や礫で攻撃されればそう簡単に鎌倉に攻め込むことなどできないでしょう。もっとも銀座通りの朝比奈切通にも大曲には砦になっている巨大なやぐらがあって眼下の敵ににらみをきかせていたことを忘れてはなりません。
なお「名越切通」は、現在では横須賀線と神奈川県道三一一号鎌倉葉山線がトンネル通過しており、交通路としては利用されていません。
(「鎌倉の寺」小事典、鎌倉ガイド協会資料を参考にしました)
♪今年また蛍光りしうれしさよ 茫洋
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