Monday, May 04, 2009

ゴールデンウイークに「私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー」を読むということ

照る日曇る日第254回

「黄金週間」とはよく言ったものだ。

僕たちはゆっくりと朝寝して、ブランチを食べたあとで近所の公園や遊園地まで散歩に出かけたりする。ベンチに座って深呼吸すればまぶしいほどの新緑に包まれた樹木が太陽に向かってすべての腕を伸ばしていることに気がつく。

青い空に浮かんだうすい絹のような雲が西から東に向かってゆっくり流れていくのが見える。僕たちはその瞬間毎日心身をはげしく苛んでいる仕事のことも、複雑怪奇な人間関係のこともすっかり忘れて、子供の時には喜びの声を上げて流れていた純粋な時間と透明な空間をちらりと覗いたような錯覚に陥る。

突然偽りの帰属意識から解放され、日常生活の足元にぽっかり空いた穴に吸い込まれそうな自分を感じたときの軽い眩暈と慄き。
ああ、労働と義務から解除されたあの夢のような世界にもう一度戻ることができたなら!
それが到底不可能と知りつつも、「本来そうであるべきであったところの自分」をもしかすると復元できるかもしれないという美しい幻想にとらえられる、おそらく年にただ一度の黄金の時の時なのである。

朝比奈峠からの散歩を終えた僕は、FMから流れるラ・フォル・ジュルネのバッハの演奏を聴きながら、村上春樹が編んだ「私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー」という短編を読み終えたところだ。

カーヴァーは底なしの酒飲みで、その致命的な欠陥によって人生を台無しにするところだったが、彼のどうしても詩を、小説を書かずにはいられないという執念、そしてたった一人の女性への愛がその破滅的な人生をぎりぎりのところで救った。

たった50年という短すぎた生涯ではあったけれど、それでも晩年のつかのまの幸福とあれほど見事な作品をもたらしたのは、カーヴァーという不器用な男の文学と女性への献身があればこそだった。 

文学と愛の夢に殉じた“私たちの隣人レイモンド・カーヴァー”は、「労働と義務から解除されたあの夢のような世界」にいつまでもいて、僕たちの訪れを待っているのだろう。


妻と子の鼾楽しも春の夜 茫洋

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