Thursday, November 27, 2008

玉縄城に登る

鎌倉ちょっと不思議な物語第157回

玉縄城は天然の要害の地である丘陵に空堀や土塁、曲輪などの防衛施設を備えた山城であった。

本丸址は現在の清泉女学院の校舎、校庭の位置にあたるが、昔日の面影はない。ただ清らかな婦女子の嬌声が秋空にこだましているばかり。かろうじて中世鎌倉の雰囲気を漂わせているのは広大な「七曲り」の谷戸、樹木に覆われた「ふわん坂」、高地にある陣地の「諏訪壇」のみである。

「七曲り」は、急坂でいくつにも折れ曲がっているのでこの名がある。玉縄城に上り詰めた両側は土塁となり、土塁の内側の平場(曲輪)で下から攻め上がる敵を攻撃し、城を防御できるようにしていたが、これは同時期の朝比奈峠でも同様である。

「ふわん坂」は急斜面の坂で、かつてはその両側に曲輪があり、登ってくる敵を弓で迎え撃った。

「諏訪壇」はかつて本丸の東側にあった長方形の土塁で、玉縄城の最高地にあって見張りの役を果たしてゐた。ここは城主の最後の避難場所でもあり、現在市役所のちかくに移転した諏訪神社が守護神として祭られていた。

♪七曲り曲輪より射るおおかぶら 茫洋

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