鎌倉ちょっと不思議な物語第151回
私は、まだ腰越界隈を漂流しているのだった。
気がつけば、ここは源氏の武将佐々木盛綱ゆかりの小動神社である。私の実家と同じ御紋が甍の上に燦然と輝いている。「鎌倉志」によれば、古来この神社の山の端には海辺へ突き出た松の木があり、風もないのに常に幽かに動いているので「こゆるぎの松」と称したという。
私は本殿のたもとに今もそびえている松の木の葉をじっと見つめた。確かに松の木は枝は枝として、葉は葉としても小刻みに揺れ動いているやに見える。しかし神社の周囲は幸か不幸か秋風が立っているために、この微動が物理の現象なのかそれとも神事であるのかはついに見定めることができなかったのである。
神社の境内が尽きるとそこはもう腰越の海だった。思いっきり首を伸ばして切り立った断崖の真下を覗き込むと岩礁が荒波に打たれている。小動岬だ。
昭和5年1930年、帝大生太宰治が銀座のカフェーの女給田部シメ子とカルモチン自殺を図ったのがちょうどこの黒く光る岩の上だった。
その体験が「道化の華」を生んだが、事実は小説とは違って2人は荒れ狂う波間に飛び込んだのではない。大量のブロバリン(カルモチン)を服用し、若い男は生き残ったが、女は死んだ。
幾度も自殺を試みたこの作家は、昭和23年1948年山崎富枝に縛せられて玉川上水の露と消えたが、惜しみても惜しみてもなお余りある非業の死であった。当時の太宰が作家として絶好調にあり、みじんも自殺する意思がなかったことは、彼の遺作「グッド・バイ」の最終回を読めば歴然としている。彼は彼の弱さによって馬鹿な女に殺されたのである。
太宰がどれほどの天才であったかは、死の前年に締め切りに迫られて、新小動潮社の野原一雄の目の前でビールを飲みながら口述筆記させた短編「フオスフオレセンス」を読めば2002年の2月に死んだ我が家の愛犬ムクにだって分かるだろう。この荒技ができるのは、太宰のほかにはスチーブンソンだけだろう。生れながらの小説家とはこういう人のことを言うのだ。
では諸君、読んで見給え。短いから2分で読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/310_20192.html
「なんて花でしょう。」 と彼にたずねられて、私はすらすらと答えた。
「Phosphorescence」
ところがこの花が永遠の謎の花であるところがまた素晴らしい!
♪さわに生りし蒼き柚子の実もぎ取れば強かにわが指刺せりその処女の実 茫洋
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