Monday, November 24, 2008

玉縄首塚周辺

鎌倉ちょっと不思議な物語第154回


さて大船観音の高台を降りた私は、これからこの地域を支配した武将たちの拠点である玉縄城をめざすのだが、その途中の路地に昭和初期の瀟洒な建物を発見した。日本で初めて駅弁をつくった「大船軒」の社員寮である。その入口には、アールデコ風の飾りがあった。

この「大船軒」のオーナーは有名な鎌倉ハムの製造者富岡氏で、その立派な邸宅もその近所にあった。ちなみに我が国のハム製造技術は、明治7年に英国人ウイリアム・カーチスがもたらしたという。

大船軒と鎌倉ハムゆかりの地のすぐそばにあるのが、玉縄首塚である。

鎌倉市の資料によれば、一五二六年に安房の武将里見氏が鎌倉に攻め込んだとき、玉縄城主であった北条氏時は、渡内の福原氏やここ大船の甘粕氏とともに防戦したという。激しい戦闘が数度行われ、彼らは里見の軍勢をようやく追い払ったのだが、甘粕氏などおよそ三五名がここで斃れ、彼らの首を祀ったのがこの場所だった。

毎年八月一九日の玉縄史跡まつりには、塚の供養やこの傍らを流れる柏尾川で慰霊の灯篭流しが行われるという。

    ♪玉縄の河の畔に巨樹茂り猛き武将の勲しとどめむ 茫洋

No comments: