Saturday, November 15, 2008

吾妻鏡第4巻「奥州合戦」を読んで

照る日曇る日第187回


我が国に初めて武家政権を樹ち立てた二品頼朝に対する評価は高いようだが、吾妻鏡を読み進むとこの武士の人間性がだんだん厭になるような気がするのは、後に源家を簒奪した悪辣非道な北条氏がこの歴史書を編纂したからだろう。

しかし平家追討、殲滅に多大の貢献をした弟の伊予守義経や、それほどの武勲はなかったが義理の兄の代理として西国を連戦した範頼への冷酷極まりない処遇には、冷徹非情な政治家の決断を褒めそやす以前に、大いなる違和を覚える。

所詮この男は老獪な北条時政や梶原景時などの側近に目を眩まされ、己の真の敵と味方とを弁別できず、己の内部に異端や外様や取り込んで清濁併せ呑むことができなかった悲劇の将軍ではなかっただろうか。

とりわけ平家掃討戦に軍の矢面に立たなかったくせに、伊予守の殺戮を命じてやむを得ず実行した藤原泰衡の追討には中央軍の陣頭指揮を取っており、なにもそこまでしなくとも、という気がするのである。

藤原氏征討直後の文治五年一一月一七日、二品は藤沢市の大庭御厨の近くで一匹の狐に遭遇する。数十騎で取り囲み、頼朝が弓矢を番えてヒョウと射たところ、彼の矢は当たらず、傍から射た弓矢の名人篠山丹三の矢が狐の腰に当たった。頼朝はそのことを知りながら、「命中した!」と声を発した。

すると丹三は忽ち馬より降りるや頼朝の矢を己の矢と入れ替えて狐に立て、これを掲げて二品に奉った。翌日御所に帰還した頼朝は、丹三を召し出して側近く使えるように命じたというのであるが、これほど嫌な話もない。

頼朝という人のほんとうは、結局この程度の者であったと思わないわけにはいかない。


♪亡き人の胸に塞がる菊の花 茫洋

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