Monday, September 15, 2008

ある丹波の家族の物語 その2

♪遥かな昔、遠い所で第75回

父の言葉『思い出の記』第一回

私は大正二年、岡山県倉敷市に生まれました。父は、私が九歳の時に亡くなりましたが、姉一人、兄六人、妹二人という賑やかな家庭でした。

倉敷教会は、田崎健作先生の精力的な伝道で発展し、県内でも指折りの教会になっていました。

 母と長兄夫婦は弘法大師を拝んでいましたが、五人の兄は大学在学中に洗礼を受けました。私のすぐ上の兄、豊は母に内緒で同志社大学神学部を受験、合格しました。母はとても立腹しましたが、田崎先生の説得に折れて入学を許しました。

 同級に東方信吉先生がおられました。この兄が在学中夏期伝道のため、ひと夏綾部に来て、当時小学生だった家内らと共に楽しく過ごされたそうです。

 また後年、東方先生が丹陽教会を牧されたことをお聞きしてその巡りあわせに驚きました。


われのみが段ボールを捨てるらし雨音しげき火曜日の朝 茫洋

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