Tuesday, September 09, 2008

横尾忠則著「人口楽園」を読んで

照る日曇る日第159回

自作の絵に短いエッセイがつけられて全部で105の見開き世界が繰り広げられている。その第24回の「魂むしばむ戦争」は次のような文章で始まっている。

「朝、目が覚めた途端、うっとうしい気分に襲われる。生きている証拠である。眠っている間は死んだも同然、意識の動きが停止しているからだ。眠りから目が覚め、生を自覚するやいなや今日も生きるのかと思うと、イヤーな気分になる。別に身体が悪いとか、借金に追われているとか、嫌なやつに会うという理由ではない。ほとんど理由もなく目覚めそのものが不快なのである。その理由として「生きている証拠だ」と言ったが、生きているというほとんど理由があってないような理由によって始まる「生」のせいに違いないとぼくは考える」

年をとると生そのものが鈍重になり、生物としての人間が担うに堪えない重すぎる荷物と化すのであろう。かくいう私も毎朝骨が痛む。身を起こそうとするのだが、上半身の骨格の重さを弱くなった筋肉が支えきれずに悲鳴を上げるのである。頭に体がついていけないのは仕方がないが、骨に肉がついていけなくなる日がやってくるとは思いもしなかった。


生きることは苦しきことなり
朝毎に
私の骨は激しく痛む 茫洋

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