Friday, September 26, 2008

続 ロナルド・トビ著「「鎖国」という外交」を読んで

照る日曇る日第163回

秀吉、家康を経て我が国は鎖国に突入したというこれまでの学説を全面的に否定したのがロナルド・トビさんの本書である。幕府は一方ではキリスト教を禁じ、日本人の海外渡航と帰国の制限、ポルトガルの追放を行ないつつも長崎、対馬、薩摩、松前の「4つの口」を絶えず開放して琉球、朝鮮、中国、ロシア、オランダなどの異世界との交易と情報交流を継続しながら幕末に至ったと説く。それはそうかもしれないが鎖国体制が存在しなかったとまでは強弁できないのではないだろうか。

それはさておき、この本の面白さは朝鮮通信使など絵画に描かれた異国人の解説である。異国人をどのように描くかは、日本人がどのように異国人を認識しているかということでもある。南蛮人と出会う前の日本人にとって世界は、「本邦」と「唐」、「天竺」の3つの世界しかなかった。「三国人」から多国籍「万国人」への視点の広がりに対応して、我が国の画家たちはそれまで類型的であった「毛唐人」の顔や体形や衣服や装束を琉球人と朝鮮人と中国人の実態に合わせて写実的に描き分ける様になるが、それは正確な国境の測量と地図の完成に比例している。

著者が次々に取り出してくる絵画や地図が興味深いのは、そこに当時の日本人たちの世界観と彼らの自己同一性の位相がはしなくも表現されているからである。

江戸時代の初期まで我が国の成人男子はひげを蓄えるのがマッチョとされて一般的だったが、幕府が安定してくると後水尾天皇の頃からはそりおとすようになる。黒澤明の「七人の侍」では不精な有髭だった武士たちが、ゴリゴリの法治国家となった近世では無髭を強制され、「月代・髷・ひげなし」の三点セットが日本の「国風」をあらわす身体的な特徴になった。とトビさんは説くが、なにあと二〇年もすればこの国も、もっとゴリゴリの超国家主義体制が一世風靡して、新しいメンズファシズム三点セットが汝忠良なる臣民に強要されるようになるだろう。

それはともかく、第三章「東アジア経済圏のなかの日本」、第五章の「朝鮮通信使行列を読む」や第六章「富士山と異国人の対話」などは通史の枠をはみ出して生き生きと叙述され、これは小学館版「日本の歴史」の白眉と言うてもあながち愚かではないだらう。

♪ご丁寧に発信筒をつけられて佐渡の空に放たれしは中国産ニッポニア・ニッポン 茫洋

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