鎌倉ちょっと不思議な物語第176回&勝手に建築観光34回
鎌倉の西御門は幕府の西側の門があった場所ですが、かつてこの近辺には作家の江藤淳や外交官の加瀬俊一、そして白樺派の作家である里見弴などが住んでいました。加瀬邸は氏が最近亡くなられて間もないというのに跡形もなく取り壊されて別の安直な住宅になってしまいましたが、旧里見邸はいまなお「石川邸・西御門サローネ」として健在です。
里見弴は長兄が作家の有島武郎、次兄が画家の有島生馬で、この3人を3馬鹿トリオではなく団子三兄弟でもなく、なんと「有島芸術三兄弟」と呼びならわしております。
弴の恩師は作家の泉鏡花ですが、彼は恩師の文学世界とはあまり関係がなさそうな「善心悪心」、「多情佛心」、「極楽とんぼ」などの作品を書き、その業績はもてない男、小谷野敦氏の伝記などによって近年急速に再評価されています。
永井龍男が随筆「里見さんの家」で書いているとおり、この建物は大正15年に作家がみずから設計しました。里見はまったく素人のくせに建築趣味があって当時完成したばかりのライトの帝国ホテルなどを熱心に研究したそうですが、この洋館のロビーや暖炉のある応接間やアールデコ風の装飾などになんとなくその影響が感じられます。
洋館の隣には彼が知り合いの大工に命じて造らせた仕事場兼茶室として使った茅葺の和室もありますが、これなら素人でもできそうです。しかし和と洋の良さを生かしきったこの快適な生活空間を建築のけの字も知らないアマチュアが設計してしまったとは驚きです。
里見弴は鎌倉のあちこちを激しく転居しています。最近取り壊されてじつにつまらない普通の家になってしまったかつての扇が谷の自邸とそのエントランスをなしていた見事な日本庭園も、いつまでもそこに居たいと感じさせる日本画のような情趣にあふれていました。
また彼は最近まで鎌倉にあり、現在では遠く長野県に移築された次兄有島生馬の住居、それから裏駅のいまスターバックスがある場所にあった漫画家横山隆一のアトリエと住居も設計したそうですが、その話を聞いた私は、横山隆一の「おとぎプロ」の入り口にあった大きな褐色のモニュメントを思い出しました。もしかするとあれも弴の作品だったのでしょうか。
♪8時半に演説終えし候補者と隣り合わせの京急バスに乗る 茫洋
♪見知らぬ人に満面の笑顔振舞われ路地に逃げ込む市議会選挙
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