Thursday, April 30, 2009

「平安のハムレット」と「宇治川のオフィーリア」を待ちかまえている最後のドラマとは?

紫式部著・アーサー・ウェイリー版「源氏物語4」を読んで

照る日曇る日第252回


アーサー・ウェイリーがもっとも高く評価し偏愛した源氏物語が、本巻に収められた「夢の浮橋」を含むいわゆる宇治十帖でした。

ここで活躍するヒーローは、源氏の息子、薫(しかしてその実体は、源氏の目を盗んで女三の宮と通じた柏木の息子)と匂(天皇と皇后の三男)、そしてヒロインは、八の宮の遺児である美人の三姉妹、総角(あげまき)、小芹(こぜり)、浮舟です。

とかく男はこの世では惚れた女には惚れられず、それほど好きでもない女性からは逆に愛を打ち明けられておおいに戸惑ったりいたします。薫と総角の場合は前者の典型で、男は熱愛しているものの、女の方では「いい人」カテゴリーに入れており、それでも再三再四のチャンスに強引に女をモノにすればいいのですが、草食系男子の薫にはそういう典型的な肉食系男子であるライバルの匂のような乱暴なことができません。爬虫類脳の指令が男根に直結している匂と違って、薫の内部では、大脳前頭葉からの突撃命令を下半身が拒否することが往々にしてあるのです。

その原因は彼の生誕の背後にひそむほの暗いコンプレックスであり、生存の深奥部に突き刺さったトラウマに基づくものでしょうが、このことが彼の生来身に備わったペシミズムとニヒリズムと遁世願望に根強く繋がっているのです。

生きたい。欲しい。しかし欲望できない。征服できない。このもどかしいジレンマを、この無防備なニッチを、ペニスむき出しの現世的人間、匂が激しく衝き、まず小芹が、ついで浮舟がその血祭りにあげられます。美しい想い人をキツネに奪われたカラスは無念をかみしめ己の浅はかさを厳しく責めながらますます自己滅却の衝動に駆られていくのです。

紫式部の時代からおよそ一〇〇〇年後の今も、宇治川の流れは思いがけず激しいのですが、宿命の恋のライバルに引き裂かれてこの激流に身を投じたはずの浮舟が、冥界のヴェールの底から蘇る日、薫と匂は果たしてどういう行動に出るのでしょうか? 「宇治川のオフィーリア」を待ちかまえている最後のドラマとは何なのでしょうか? 生きながら死せる存在であるわれらが「平安のハムレット」に、はたして起死回生の劇的な瞬間は訪れるのでしょうか?

あらんかぎりの幻想と夢と希望を世界に振り撒きながら、この人類史上最高最大の物語は、大団円に向かってひそやかに助走を開始したところで、まるでそれが作家の当初の計画であったかのように、不意に幕を閉じるのです。



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