Monday, April 20, 2009

60年代のスーツ近代化

ふぁっちょん幻論 第47回

1960年代になると西欧から優れたテーラーたちが続々わが国にやってきます。また昭和30年1964年の東京オリンピック開催時には、国際注文服業者連盟国際大会も併せて開催され、翌年から若手優秀者がロンドンのサヴィル・ロウでの研修に派遣されるようになりました。

昭和36年1961年にはパリの仕立て技術者A・クリスチャーニ、昭和39年には伊ローマからアンジェロ・リトリコ(JFK、フルシチョフ、マストロヤンニの服)、英ロンドンマスターズテーラー協会理事長のパッカー、副理事長のスタンバレー(サヴィル・ロウのテーラー「キルガー・フレンチ&スタンバレー」)などの各氏が来日、欧州仕立ての真髄を披露しました。

彼らは「日本のスーツ職人は手先は器用だが、胸のドレープの表情に乏しい、スーツ全体のボリュームがなく扁平すぎる。プロポーションが悪く、アイロンが軽すぎる」などの指摘を行ない技術の改善を指導したために、スーツの仕立て技術が大きく向上しました。

こうした技術革新の波を受けて、74年には三宅一生らの「TD6」が父上がり、72年には「ブリリアント6」が結成され、上原宗市、細野信、中右茂三郎、石川栄治、今井文治などが第1回コレクションを発表。第2回からは池田茂樹、五十嵐九十九、隅谷譲次、松田法明たちも参加し、73年には上原宗市、細野信がイタリア・サンレモのテーラーデザインコンテストで1位を受賞します。しかしこうしたオーダーメードの団体活動は、既製服業界の追い上げと職人賃金の高騰などによって、昭和60年1985年には終了してしまいます。

♪鰤頭とろとろ煮られ花曇り 茫洋

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