Friday, April 17, 2009

網野善彦著「歴史としての戦後史学」を読んで


照る日曇る日第250回

 

映画「舞踏会の手帖」を思わせる古文書の返却の旅

 

岩波書店から孜々として刊行され続けている網野善彦著作集の第18巻である。

 

この巻の主題は、著者が後半生の最大の責務となった「古文書の返却の旅」である。戦後の観念的な極左革命運動に挺身し、おのれの人生と学問の前途に光明を失っていた著者は、1950年になって日本常民文化研究所月島分室を主宰するやはり元左翼のシベリア帰りの文書学者、宇野脩平氏の好意によって同所に勤務することになる。

 

当時宇野氏はソ連の文書館を理想とした巨大なアルヒーフ建設を夢見ており、水産庁と日本常民文化研究所を動かして日本全国の漁村の古文書をねこそぎ借用し、それらを整理、編集・刊行して我が国最初の本格的な資料館を立ち上げようという大事業を計画していたが、たまたまその成り行きに飲み込まれてしまった著者も、この前代未聞の古文書借用騒動に巻き込まれることになる。

 

月島の小さな分室はたちまち膨大なリンゴ箱であふれかえり、それらを複写、撮影、調査、整理、整頓する人材も制度も予算も枯渇していくなかで、いたずらに数十年の歳月が流れ去った。宇野氏の功績は偉大であり、そのおかげで著者は観念的な史観を脱して実証的な文献研究の重要性にめざめ中世史研究者としての基礎を叩きこまれることにもなったのだが、その反動も大きかった。文書の大半は返却されずいたずらに死蔵されたのである。

 

借用文書は各所に分散し、貴重な資料提供者や研究者の怒りと抗議が舞い込み、宇野氏はじめ多くの関係者が物故するなかで、責任を痛感した著者による、さながら映画「舞踏会の手帖」を思わせる文書返却の長い長い旅路が始まるのである。

 

ゆいいつ救われるのが、数十年振りに返還された古文書を前にした各地の資料提供者がひたすら平身低頭する著者たちに対して示す寛容な態度であり、いったいこの不始末の落とし前はどうなるのか、と息を凝らして読み進んできた読者も、やれやれと胸をなでおろすことになる。

これらの古文書を活用して、著者たちが画期的な成果をあげた中世海民の役割再評価の研究ではあったが、二度とふたたびこのような誤りを繰り返してはならないであろう。

 

余談ながら本書176pに、渋沢敬三が高く評価している民俗学者として、敬愛する磯貝勇氏の名前が出てきたのはうれしかった。渋沢敬三が序文を寄せ、磯貝氏が郷里の由良川の源流や故事や風俗についてとつとつと語った「丹波の話」(昭和31年東書房刊)こそは、わが枕頭の書なのである。

 

♪口丹波由良川の水澄みわたり蚕の里をゆるゆる巡る 茫洋

 

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