Tuesday, April 14, 2009

メンズモードの戦中・戦後

ふぁっちょん幻論 第46回

昭和12年1937年に日中戦争、昭和16年1941年にはアジア太平洋戦争が勃発するとメンズモードも決定的な影響をこうむりました。仕立て職人たちはどんどん戦場にやられ、おしゃれもへったくれもないファッションの不毛の時代に突入したのです。

カーキ色のウールの軍服がのさばり、「国民服」が大手を振ってまかり通る暗黒時代の訪れでした。そのなかでかろうじてVゾーンだけがささやかなおしゃれのスペース、自由の証だったのかもしれません。

「五族協和」、「八紘一宇」のいんちきスローガンのもと、後発帝国主義の代表選手としてアジアに覇を唱えようとした日本は、ほとんど全世界を向こうに回して、なんの目算もなく愚かで狂気の海外侵略戦争に乗り出し、およそ310万の犠牲者を出して完膚なきまでに敗れました。

しかし朝のこない夜がないように、ファッション界にもまた新しい太陽が昇るようになりました。復興への道がようやく前途に現れたのです。昭和24年には第1回全日本紳士服技術コンクールが開催され、第1席には佃鶴次郎、第2席に中右茂三郎が入りました。そしてその翌年の朝鮮戦争による特需景気でテーラー業界は急成長を遂げます。

昭和34年の岩戸景気の頃には、既製服のスーツは生産量650万着で平均価格は8000円。これに対してオーダーメードは430万着で、価格は平均1着18000円でした。
オーダーメードが既製服の価格の2倍になったとき、双方のシェアは半々になり、4倍になるとオーダーメード需要は10%を割る。これが(業界だけで)有名な「既製服とオーダーメードの法則」といわれるものですが、その後既製服はどんどんオーダーメードに肉薄するようになるのです。

春の日の桜が丘の小田急に両脚切られて泣き笑う男 茫洋

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