Wednesday, April 08, 2009

日本とイタリアの背広の違い

 
ふぁっちょん幻論 第44回

スーツは微妙な有機物ですから、壁紙に包まれたような着心地では絶対にだめです。人間と一緒に動く服でなければ本物ではありません。ところが明治、大正、昭和と日本のテーラーが引くパターンは、体には合うが画一的で無個性になりがちでした。

欧米のテーラーは彫刻的な造型ラインをフリーハンドで描けます。とりわけイタリアのサルトリア(仕立て屋)では1針ごとの正確さよりも全体的な柔らかな着心地にこだわるのが特徴です。例えば背広のラペルの裏側のハ刺しで襟と芯に馴染みが良くなる、というように。
ミラノの著名なサルトリアであるA・カラチェニは、フィアットの元会長ジャンニ・アニエッリや、デザイナーのジャンフランコフェレが顧客であり、ボローニャのグイド・ボージーは指揮者のカラヤンやリッカルド・ムーティが顧客でした。このいささか芸風と体格が異なる2人のマエストロが同じテーラーの製品を着て指揮棒を振るっていたとは意外ですね。

それから南に下がってナポリの「ロンドンハウス」はマリアーノ・ルナビッチの工房で映画監督のビクトリオ・デ・シーカ監督などが顧客でした。ともかくイタリアの仕立て技術は世界屈指のもの。20世紀前半に英国で完成された紳士服スタイルを現代のニーズに合わせてイタリア人がリ・デザインしたわけです。

いっぽう日本は前回にも述べたように、礼服が仕立ての最終到達点。一生ものの頑強な物作りを背広に適用したために永井荷風などが文句をいうわけです。工場にはイタリアのようにパタンメイクと縫製技術を総合的に統括する役割を担うモデリストが不在で、とにもかくにも肩くずれしない「ハンガー美人」製品ばかりがのさばるようになったのです。

それでも1957年当時の日本の背広の世界では優秀なテーラーたちがそれなりに活躍していたのですが、60年代に入ると(政治と同様に)米国既製服の下請けと化し、イタリアのように夜郎自大に自由に振舞えなかったことがいまも悔やまれます。

♪段葛降り積む桜の花びらをエアメールで送りしこともありき 茫洋

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