Tuesday, November 27, 2007

吉本ばなな著「まぼろしハワイ」を読む

照る日曇る日 第76回

「だってさあ、天国に行っても、きっとお酒は飲めるし。でもそこにはきっと順番はないの。きっとさ、思ったことがさっと叶うんだよ。父さんと母さんはそういうところにいるの。きっと。まわりの空気がゆっくりと甘くて、包まれてるみたいで、ハワイみたいなところだよ。こんなところに行きたいと思ったらひゅっと行けるし、私たちの顔が見たいと思ったら、すぐに来れる。順番はないんだよ。そこには。靴をはくにはひもを結ばなくっちゃってことはないのよ。きっと。」
姉さんは言った。(同書p167)

著者の日本語は、いつものようにわれらにしみじみとした滋味豊かな世界を髣髴させてくれる。登場人物の表白のあとに、どの人物がその主体であるかをあえてことごとしく明示する文体もそれなりに個性的であり、最近朝日新聞での連載が終わった萩原浩?の座敷童子?やその後で始まった長島有?の(私にとっては)たったの1行すら読むに値しない小説の無残な出来栄えに比べれば、まるで月とスッポン、雲泥の違いである。


それはともかく、両親自殺や交通事故で奪われ、地上に残された子供たちが死者を忘れるために訪れ、しかし死者の思い出に引きずり込まれ、最後に再び死者たちの記憶から解放されて新しい人生に旅立っていく。それが常世の國ハワイである。らしい。

私はまだ一度も行ったことはないが、著者自身にとっても、ハワイはこの世の天国であり、もしかするとこの世とあの世をつなぐ生と死の通い路なのであらう。

たしかに南国には無数の精霊がいるだろう。しかし著者は1941年に死んだ真珠湾の兵士たちの亡霊の存在だけは都合よく忘れてしまっているようだ。

私はハワイと同様グアム、サイパン、ロタなど今なお祖霊彷徨う戦死諸島に、なんら心のひっかかりさへ感じないであほ馬鹿観光に行く日本人が大嫌いだ。

しかし、世の中にはいろいろな障碍があって海外旅行など一生できない数多くの人たちがいるというのに、思いついたらハワイへ「ひゅっと行ける」人が超うらやましいな。

それにしても、ばななはどうしてこうも親を死なせる小説を書くのだろう。もしかしてファーザーズコンプレックスの持ち主なのだろうか。

ふたたび本書の引用をして終わろう。

「飲みに行ったとしましょう。居酒屋に行く、座る、マスターに挨拶、メニューを見る、飲み物から決める、相手がいたら相手とおつまみを相談する、そして注文して、それがひとつずつ来て、食べる。それが生きてるってこと。死んだらできない唯一のこと、つまり順番を追ってきちんと経ないと進まないってことだけなのよ。現実は。」
姉さんは言った。

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