♪音楽千夜一夜第27回&鎌倉ちょっと不思議な物語87回
久しぶりの晴天の午後、鎌倉芸術館を訪れて、わが愛するローカルオケの演奏を聴いた。創立45周年記念第90回特別演奏会である。青い空に白い雲が浮かんでいる。私の好きなマチネーである。
鎌倉交響楽団は昭和38年6月に創立され、一の鳥居の傍にあったいまは失われた旧中央公民館で第1回の演奏会が開かれたが、その日のメインであったシューベルトの未完成交響楽(曲と書かずにわざとこう書くその理由は賢明な諸兄ならお分かりだろう)が当日の2曲目に演奏された。
1曲目は例によって八代秋雄作曲の最高に素晴らしいヘ長調の鎌倉市歌である。(http://machimelo.web.fc2.com/kamakurasika.wmv)
シューベルトのこの曲D759は昔は第八番と呼ばれたが、現在では第7番で落ち着いたらしい。昔は未完成とハ長調の第9番D944の間に未発見の大曲ガシュタイン交響曲が想定されていたが、他ならぬそのガシュタイン交響曲が第9番であることがわかって、結局9番が最後の交響曲8番となった。
それはともかく改めて聴く未完成は完全に完成した2楽章で構成されており、2つの楽章はまるでシャム双生児のようなネガポジの関係にある。主題自身もほぼ裏返しになっていて、展開方法もまるで同じ。2つの楽章というよりは自民・民主の大連立状態に陥っている。
第三楽章の冒頭でシュベちゃんは筆を投げたが、よほど意想外のメロデイーで開始しない限り、このシンフォニーは第9番と同じ泥沼ぬかるみ団子状態になったはずだ。
最後の大曲第9番も名曲であるが、もはや全身に梅毒が回った最晩年のシュベちゃんは、往年の流麗なメロディラインの在庫に底がつき、曲想の自在な展開を盛り込むことができずに、それでも根性でリズムとハーモニーの自同率のみで勝負してなんとか終らせてはいる。
レコードで聴くなら、フルトヴェングラーはハーモニーで、トスカニーニはリズムを強調した立派な演奏でモノラルながら両盤ともおすすめできる。そんな名曲の「未完成」だが、鎌響はまずはオーソドクスに破綻もなく演奏してのけた。
驚きは次の大曲と共にやってきた。カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」である。ドイツの作曲家オルフは、中世ミュンヘンの民衆が書き残した24の自由奔放な詩歌をサンプリングしてそれらにもっと自由奔放な音楽をつけた。
キリスト教の戒律によって縛り付けられていた中世の世俗の民が、飲んで騒いで恋をする。そのアナーキーで放埓な生き方を、オルフは現代音楽にも通じるような強烈なリズムと生命力が躍動するダンスミュージックを創造したのである。
ダンス、ダンス、ダンス! 恋せよ乙女、堕ちよ、人! メメント・モリ! 酒歌煙草に一時を忘れよ。それは中世と現代、宗教と無秩序、人と獣、愛と憎悪のアマルガムであり、世俗賛歌をつむぎだす壮大な錬金術であった。
若き指揮者星野聡に率いられた100名のオケと清冽なソプラノ松原有奈、バリトンの牧野正人、テノールの山田精一、そして100名の市民混声合唱団は、この狂気をはらんだ長大な難曲を、打楽器の強打を駆使しながら巧みに導き、全曲の最後の最後に素晴らしい音楽的法悦をもたらすことに成功した。
これこそが私たちが待ち望んでいた至高の瞬間であり、音楽が人間に対してできる最大の事業を見事にやってのけた奇跡的な瞬間でもあった。さうして私たちは、じつはこの瞬間の訪れだけのために長い年月を生きているといっても過言ではないのである。
超ローカルオケ、鎌響よ! 音楽を熱愛するすべてのアマチュア音楽家たちよ、永遠なれ!
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