Sunday, November 04, 2007

ある丹波の女性の物語 第9回

 そのような中にあって、祖母は胆嚢の手術をした。土地の医師を母が看護婦の経験を生かして助けたのである。妹のつる叔母を舞鶴へ嫁がせたが、金三郎叔父は職が長続きせず、しまいには朝鮮へ高飛びし、その間、三回もの結婚離婚を繰り返し、失敗する度に実家へ帰っている。

 その頃の綾部には産科の医師もなく、出産といえば取り上げ婆さんを頼む時代であったので、開業していない母なのに、むずかしいお産といえば無理に頼まれ遠い村からは駕籠が迎えに来たそうである。

 そのうち祖父は借金がかさんで綾部にいられなくなり、とうとう有り金をかき集め、若い芸者を連れて、隠岐の島に逃げてしまった。その後の両親の苦労は並大抵のものではなかったらしいが、店は母にまかせて父は養蚕教師をつづけた。

 大正の初め、土地の郡是製糸が大損をして株が大暴落し、会社の存亡が危ぶまれる事件が起こった。城丹蚕業学校の創立者であり、父を蚕糸業へ導いた大恩のある郡是の波多野鶴吉氏の窮乏を救いたい一心の父は、残されている唯一の桑園を売り、発明した蚕具でもうけた金を全部つぎこんで、どんどん安くなる郡是株を買いあさったのである。

ところが一年あまりでアメリカの好景気で郡是製糸は立ち直り、株価はどんどん上がった。義侠心でやった行為が父に大金を得させたのである。そのお陰で、払い切れぬ程の借財はすべてなしてしまい、何日も親戚、知友、隣近所を次々に招いて盛大な祝宴を開いた。母はその時買ってもらったダイヤの指輪、カシミヤのショールを終生大事にしていた。夫婦ともに33歳であった。

♪色づける 田のあぜみちの まんじゅしゃげ
つらなりて咲く 炎のいろに    愛子

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