Friday, November 09, 2007

ある丹波の女性の物語 第13回

遥かな昔、遠い所で第35回

 祖父が愈々目が不自由になった頃、舞鶴の酒屋に縁づいていたつる叔母さんが、肋膜炎になり帰って来た。嫁ぎ先では養生させてもらえず、父が見かねて、二男二女を残して離縁してもらったのである。うちで養生して全快後、将来の為何か身につけたいと、神戸の外人さんに洋裁を習いに行った。

 父は末の男の子を引き取り、叔母に洋裁店を開業させようと、目抜き通りに家を新築する事にした。私は板囲いのあるその普請場へ、毎日のように父と見に行ったものである。

叔母はどれ位修行したのか分らないが、次々私のために、別珍のワンピース、レースの洋服にお対の帽子、半ズボン、毛糸編のワンピース等を作ってくれた。家が立つ間、祖父と叔母が離れのコタツに差し向かいで当たっていた事やミシンを踏んでいる束髪の叔母の後姿が目に浮かぶ。洋服は色あせた写真でしか見ることができないが、神戸土産の西洋人形は、今もテレビの上から私にほほえみかけてくれる。
 
4歳位の頃かと思うが、苺の季節に叔母は亡くなった。折角の父の心づくしもすべてが無駄になった。臨終の後、私にも口をしめらせてくれた。亡くなる前日だったか、叔母が、苺を細い指でつまんで食べさせてくれた事が忘れられない。

 不幸な叔母の為に盛んな葬式が教会で行われた。私は大勢の人が集まるのがとても嬉しくて、火葬場で飛んだり跳ねたりしたようである。帰るなり母は、みんなの前で私の背中にお灸をいくつもすえた。泣き叫んだが誰も止めてくれなかった。

♪うちつづく 雑草おごれる 休耕田
 背高き尾花 むらがりて咲く  愛子

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