Wednesday, November 07, 2007

11/8 ある丹波の女性の物語 第11回

遥かな昔、遠い所で第33回

 最後に私を生んでくれた母と父の事を少しのべたい。

父は前述の雀部の長男儀三郎である。姉も美人であったが、父も長身、秀才、美男であった。土地の京都三中、三高、東大独法科を卒業した。田舎では有名であり自慢の息子であった。「末は大臣か―――」等という祖父母の期待を裏切って、芝川という貿易会社に就職、横浜に住んだ。

当時は非常な好景気で、派手な贅沢な暮らしであったようである。この癖は終生つきまとった。会社が不景気風と共に破産、その後もやはり個人で貿易をしたらしい。その間に結婚もしているが、いろいろ就職しても昔の夢が忘れられず、その後京都での市の貿易協会に招かれ得意の腕を振るう事ができたのはしあわせであった。

 母美代は東京上野下谷の生まれである。長く京都に住んだが言葉の江戸っ子は死ぬまで直らなかった。親代わりの兄は外交官等の仕立てをする高級洋服店を営んでいた。本郷に下宿していた父と、どのようにして結婚したのか、とにかく福知山の祖父母をはじめとして、田舎の親戚は大反対であった。

そんな訳で夫が失職したり、困った時は全部兄に面倒をみてもらったらしい。不義理を重ねたこの妹夫婦には兄もあいそをつかしたらしいが、晩年は江戸時計博物館などを持っている兄を訪ね、一緒に焼物などを焼いて楽しんだと言う事である。

 母は大柄でどちらかといえば、不器量であったが、父には至れり尽せりの妻であった。京では毎日のように一流料亭にバイヤーを招いていた父を、いつも満足させる味の料理をつくり、針仕事も玄人はだし、綺麗好きで家中ピカピカであった。

私が似ているといえば不器量と、花作り好き位であろうか。それでも子供の話が理解出来るよう、ラジオで中国語講座を聞いたり、野球などのスポーツも理解した。伏見の家から京の街へもほとんど出たことのない、ほんとの家庭夫人であった。

♪山あひの 木々にかかれる 藤つるの
 短き花房 たわわに咲ける    愛子

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