Friday, November 02, 2007

ある丹波の女性の物語 第8回

 当時はまだ鉄道もなく、花嫁達は福知山街道を人力車にゆられて夕方、佐々木家についた。提灯の灯に浮かび上る母の姿を見て、金三郎叔父は「おお!きれいな嫁さん」と見とれて、大きなため息をついたそうである。

 売り出しには商いに店に立つ母の姿を、近在から見に来るほどであったらしい。私がそんな話を聞いて来て母にすると、困ったような顔をして、
「お父さんの所へ来たのが一番幸福だった。沢山の家からもらわれたが、他のどこの家へ縁づいても、めかけがいるような家ばかりやったから」
と心の底からそう思っているようであった。

 母が縁付いた頃は雀部家はすっかり傾き、商売がえをしてみてもうまくいかなかったが、何分ぼんぼん育ちの祖父の事で、お米はすし米、お茶は玉露というような日常であったので、使用人の多い佐々木家の大世帯の粗末な食生活にはびっくりしてしまったそうである。
麦の方が多い麦飯、それに大根も入る時があり、暫くは食べられなくて困ったそうである。

 その頃、父は養蚕教師となり、四国では日本一の成績をあげる高給取りであった。しかし借金の返済や商品の仕入れにすべてあてられ、その中でも祖父の女遊びや花札バクチが続き、いくら父が家に金を入れてもドブに捨てるような物であった。差し押さえにあい嫁入り道具類にまで札をはられた事もある、と母は言っていた。

♪梅雨空に くちなし一輪 ひらきそめ
家いっぱいに かおりみちをり  愛子

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