ある丹波の老人の話(39)
その時弟は、死んだ妻の事を
「実に良い姉さんやった」
と褒め、
「私が酒を止めたあと、この兄さんの家へ来て泊まるとき、姉さんはいつも土瓶の中へお茶とみせかけて酒を入れ、私の枕元に置いて飲ませてくださったもんでした」
と白状しました。
それから弟は、
「私はほんとはキリスト教に入れてもらいたかったんやけど、私のような者はとても入れてもらえんと思って今まで黙っておりました。兄さんはきっと長生きされると思うが、私は血圧は高いし、とても長生きはできん。死んだらせめて葬式だけでもキリスト教でしてもらえんやろか」
と言いましたので、私は、
「そのお前の心がすでに神に通じておるんやから、葬式など訳もないことや」
と答えたんでしたが、昭和28年の5月7日に脳溢血で亡くなり、葬式は遺志の通りに京都紫野教会で山崎亨牧師の施式によって執り行われたんでした。
遺児は男二人、女一人でいずれも同志社大学に学び、長男、長女はすでに卒業し、長男は早くも父の業を継いでおりました。そうして私の弟は、後顧の憂いなく安らかに眠ったんでした。
神の御恩寵は私の上のみでなく、父の上にも、弟の上にも豊かでした。感謝の至りであります。 (第6話弟の更正 終)
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