降っても照っても第45回
本巻収録の論文「境界領域と国家」において、著者は公=パブリックなものを、境界的な場、人、物=「公界」的なものと公家、公方、公儀など国家の公的権力につながるものとに峻別しようとしている。
欧州でも、神仏あるいは聖なる世界(大宇宙)と人間あるいは俗界(小宇宙)との狭間で重要な役割を果たしていた“境界的な人々”が存在していたが、キリスト教の浸透がそのアジールを奪い去った。同様に日本の社会でも室町時代以降、「公界」は「公儀」によって暴力的に吸収されていったわけだが、この2分法は21世紀のいまも有効であると、私には思われる。
本巻の目玉は少し執筆年代は古くなるが、当初予定されていた宮本常一に代わって著者によって書かれた「東と西の語る日本の歴史」であろう。
著者はこの規模雄大で雄渾な論文のなかで旧石器、縄文時代から現代におよぶ長い時間にわたって列島に鋭い亀裂を生じさせてきた列島東西の諸民族と国家(東国と西国政権、アイヌ、琉球、蝦夷、隼人などを含む)の社会的、考古学的、歴史的、地勢的、政治的、経済的断層を個別具体的に検討していく。
考古学的にはすでに3万年前の旧石器時代から東西石器の形状は異なり、民俗学的には宮本常一などが明らかにしたように、東は“家父長的なイエ中心の縦型父性社会”であり、西は個々のイエの婚姻によって結ばれた“ムラ中心の母性系横型社会”である。
また縄文時代の列島の東西は植生が異なり、ブナを中心とする冷温帯落葉広葉樹林の広がる豊穣な東日本とシイ・カシを軸とする照葉樹林が広がる貧を代表する通商的・軍事的特性であったことも歴史的な事実である。
このような東西格差と地域の特殊性は、古代から現代まで数多くの政治的対決の淵源となってきた。
蝦夷の跳梁をはじめ9世紀から東西の抗争は激化し、10世紀の中頃には大和政権に反逆する平将門や藤原純友の乱が起こり、これを嚆矢とする「あずまみちのく」の自立を目指す安倍、清原、奥州藤原一族の叛乱へと続き、“西国国家”平家を打倒した源氏は、わが国最初の東国武家政権を鎌倉に確立した。
その後幾多の東西対決を繰り返しながら、最終的に関が原の合戦に勝利した徳川家康が東国政権による全国統一を果たしたが、いまなお列島深奥部には双方の対立要素が潜在し、それは欧州ならば優に複数の民族国家を構成するに足る亀裂であると著者は断言する。
すなわち、旧石器時代から平成の御世まで、“単一民族による単一国家”大日本帝国などほんの一瞬間も存在しなかったのである。
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