降っても照っても第43回
毎日暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私の家は冬は隙間風が入って寒いけれど、夏は極めて快適そのもの。エアコンなど1台もないのに、このおんぼろ木造モルタルには冷風がびゅんびゅん吹き込んで、セミたちがが盛夏のオペラを朗々と歌い上げています。
さて閑話休題。
2004年2月27日に惜しまれつつ76歳で亡くなった偉大な歴史家、網野善彦の著作集が、遂に岩波書店から刊行されはじめた。
氏はどんな短い文章にも深く刻まれているそのおおらかな人柄とゆたかなヴィジョンで私たちを力強く抱擁し、見知らぬ未来に向かって羽ばたく力を与えてくれるけざやかな師表のひとつであった。
ついこの間の石井進もそうであったが、わが歴史学会は才能豊かなエースを立て続けに失ってしまった。されど人は死しても著作は残る。せめて遺された全18巻を心ゆくまで味読したいものである。
さて第1回配本は「中世都市論」であるが、読んでわくわくするような論文がたくさん並んでいる。
二番目に置かれた論文「中世都市論」は1976年の初出であるが、この論考はその後の著者の代表作「無縁・公界・楽」を生み出した淵源をなしている労作で読み応えがある。
「公界」とはもともと中国の禅に由来する言葉で、俗縁を断ち切って修行する場をさしていたらしい。それが戦国期の日本で独特な意味を持つようになり、「無縁」と同様既存の権力によるイエ的、私的支配、保護、扶持等の縁と無関係な場や状態を表すようになった。
例えば能楽者や遍歴する陰陽師たちは「公界衆、公界者」と呼ばれ、河原、大道、道路などは「公界」であるがゆえに耕作、売買してはならなかった。「楽」も公界も同義である。
堺、桑名、大湊などと同様、わたしんチの近所の相模の國の江ノ島は室町時代には「公界所」と呼ばれる一種の「自由都市」「アジール」であったが、著者は「楽津」「楽市」「公界」の3点セットこそ戦国期、日本中世の自治都市のキーワードであると主張する。
また巻末におかれた「都市の起源」は静岡県磐田市における一の谷遺跡(結局破壊された)にかかわる講演であるが、まず律令国家の成立にとって重要な役割を果たした国府の置かれた場所が、太古の原日本人にとって「聖なる土地」に置かれていたことを指摘している。恐らくこの指摘が著者の甥である中沢新一による一連の「地霊考古学論考」を生み出したのではないだろうか。
さらに著者は河原、中洲、浦、浜、山の根、境、峠など、聖なる世界と俗界の境界に都市と墓地が派生したと説く。そういえばわが鎌倉は町全体が墓場である。聖なる地に墓ができるのは当然のことだが、ではその同じ地にどうして市が立つのだろう?
交易するためには物が物として流通する場が必要である。そこでおのずから「市」という場所が必要になってくる。ところが前述したように、当時の人々は河原や中洲は世俗を離れた神仏の支配する聖なる場所と考えていたので、この特別な場に入った人も物も人と人とが濃厚に結びつかないで「さらさらと」ニルアドミラルに交換できる。
交換、交易はそういう物と人とが切れる状態=「無縁」という条件、があってはじめて可能になった、と著者は勝俣鎮夫の見解を紹介しながら説明する。
このようにして神仏と世俗の境界には墓と市が立ち、そこにはさらに津や泊のような港ができ、宿も、関もでき、神社や寺院も建てられる。
そして聖なる市には聖別された人々、たとえば「道々の輩」と呼ばれた芸能民や手工業者、商人、漁労民、廻船など農業以外の生業にかかわる職能民が次々に各地からやってきて徒党を組むようになり、これら無名の民草が、神や天皇に直属し、律令社会の権力者からある程度自立した「神人」や「供御人」となっていわば聖別された特権を与えられるようになったのだが、これこそが中世日本における自治都市の起源であると著者はいう。
実際あの千利休の経済的基盤は、阪和近辺の漁港からの収益であり、その権益があればこそ利休は秀吉の横暴と戦うこともできたのである。(とこれは著者ではなく小生の想像です)
よく知られているように、ヨーロッパの自治都市では(マックス・ウエバーが「プロテスタンチシズムの倫理と資本主義の精神」などで説いたように)、金融・商業・職人制度手工業、さらには初期資本主義の発展をキリスト教が支えた。
わが国の場合にも古くは比叡山延暦寺、時代が下がると鎌倉新仏教がこの自治都市を強力に支援し、真宗、一向宗は寺や道場自体を聖なる都市として囲い込み、世俗の権力者にたいする武装蜂起と下からの革命を実行するに至るのである。
しかしこのようにして列島各地で確立された自由な自治都市郡は、14世紀の南北朝の動乱と織豊政権の成立によって古代の神仏の後ろ盾を喪失し、「道々の輩」たちはその政治的・経済的実権を失っていく。
信長や秀吉や家康は一向宗のみならず禅宗もキリスト教も徹底的に弾圧し、宗教をほとんど絶滅させた段階で江戸幕府が成立した。このように古い神仏の権威が崩壊し、新宗教がすべて殲滅されていく段階で、かつてトレンディな都会人として尊崇されていた非人、河原者、遊女、傀儡をはじめとする「神人」や「寄人」「供御人」に対する社会全体の蔑視が固定化されるようになり、ここに現代の被差別部落の淵源があると著者は指摘するのである。
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