鎌倉ちょっと不思議な物語69回
ここは朝比奈の切り通しの入り口である。
右側に高台があって最近まで土建屋が不法に占拠し、石材置き場に使用していたが、市民と市の勧告に従って更地に戻した。それがもしかすると私が平成十三年に意を決して行った市長への陳情の成果だとしたらとてもうれしい。
さてここは、梶原景時によって将棋の最中に討たれた平広常の邸宅跡と伝えられる。
広常は頼朝騎下最大の兵力を誇ったが、その幕府帰参の時期が遅れたことと、その傲慢な態度が頼朝周辺の忌諱に触れて景時に暗殺されたのである。
広常の墓は古来2箇所あるといわれてきたが、その1箇所は杳として知れない。私はもうひとつの場所に心当たりがあるが、それも私の死と共に地上から葬られることになるだろう。歴史上の人物の伝承などまことに儚いものである。
写真はその広常を悼む鎌倉名代の四方竹の群生地。その直下に太刀洗の泉水が流れる。
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