闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.125
血のつながっている子よりもつながっていない義理の子のほうがよく親に尽くすという話は昔からよくあるが、そんなありふれた世間話を野田東梧の脚本で前者を杉村春子が、後者を原節子が演じると映画史上不朽の名作になってしまうところが小津安二郎監督のメガフォンのすごいところだ。
もちろん物語の主人公は笠智衆と東山千栄子の老夫婦なのだが、実際にこの東京ならぬ尾道物語のねっこの部分を駆動しているのは善玉二人の女優の張力関係なのである。特に凄いのは悪玉杉村春子の憎たらしい演技で、それが自分勝手であざとければあざといほど善玉原節子の孝行娘振りが強調されるという相関仕掛けになっているけれど、あくまでも悪玉あっての善玉であり、その逆ではないところに杉村春子の素晴らしさがある。
尾道から出発した老夫婦が、東京に住む子供たちを訪ねて再び尾道に帰ると妻が危篤になり、今度は子供たちが尾道にやって来て葬儀を営むという往復運動の中で、揺れ動く家族の姿形がおのずと浮き彫りになっていくこの映画の主役は、じつはそれらの登場人物を外側から内包している居住空間であり、彼らが立ち去った無人の部屋をしばらく映し出している厚田雄春のキャメラは、私たちが生きていることのよろこびとかなしみとはかなさを、しばらくの間じっとかみしめていて、この哀切がとりもなおさず小津の映画と人世への愛であった。
NHKによってなされた新しいデジタルマスター版で視聴したが、いままで聞こえなかった声が聞きとれ、いままで見えなかった陰影が見えるようになった。素晴らしい!
万人を悼むがごとく万花咲く 茫洋
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