Tuesday, May 17, 2011

カルロス・クライバーの1991年のウィーン・フィル演奏会ヴィデオを見て

♪音楽千夜一夜 第199夜


これはモーツアルトのハ長調K.425とブラームスのニ長調Op.73の2つの交響曲が楽友協会ホールで演奏されたもので、1993年にレーザーディスクで発売されましたが、現在はDⅤDになっています。

リンツの第1楽章ではクライバーの動きが緩慢であまりやる気がなく、見ているほうが心配になりますが、第2、第3楽章になると徐々にエンジンがかかります。この曲は弦と管が同じ旋律を交互に繰り返す箇所が多いのですが、マエストロはその都度当事者にこのメロディをよく聴くように指示しているのが印象的で、両翼にヴァイオリンを配置した楽器編成がその楽想と演奏効果を高めています。第三楽章ハ長調四分の三拍子のメヌエットを聴いているとさながら天国にある思いです。

クライバーのモーツアルト録音はあと変ロ長調K.319を残すのみで、おそらく生前に完璧にレパートリーに入れていたはずの主要交響曲とオペラを聴けなかったことは残念無念の一語に尽きます。

さてプログラム後半のブラームスになると顔つきも意気ごみも指揮振りも全盛時代を彷彿とさせるダイナミックな指揮振りに圧倒されます。しかし第一楽章アレグロ・ノン・トロッポ、第二楽章アダージョ・ノン・トロッポ、第三楽章アレグレット・グラチオーソまでは金管楽器の咆哮などはいっさい聴かれず、例えば第三楽章でチエロのピッチカートに乗ってオーボエが独奏する箇所などさきほどのリンツと同工異曲の管と弦の協奏、掛け合いがオケの腕の見せ所となりますが、クライバーの指揮はこの両者に対する強弱のコントラストのつけかたが非常にデリケイトなのです。

他の凡庸な指揮者、例えば小澤征爾が同じウィーン・フィルを指揮した同じ二番シンフォニーの同じ箇所では四分の四拍子を四分の二拍子くらいの前傾姿勢で慌ただしく振っているために、ブラームスの総譜を輪切りにした音楽の内部構造、その極度に内省的なハーモニーの美しさなどは急行列車に黙殺された礫岩のように置いてけぼりにされ、そんなに急いでどこ行くのという外面的な勢いだけの内容空疎なブラームスに堕すのですが、緩徐楽章のピアニッシモの超絶的な美しさをここまで深掘りしてみせたマエストロは、他にチエリビダッケあるのみ。フルトベングラーもクレンペラーもカラヤンもバーンスタインも、これほど恐るべきニ長調は演奏できませんでした。

しかしさしものウィーン・フィルも最終楽章のアレグロ・コン・スピリートに突入するとすでに疲労困憊の極に達しており、獅子奮迅のクライバーが鬼神も啼けとばかりにコーダの絶叫を命じても、笛吹けど踊らずのポンポコリンの狸たち!
ああついに世界一、二を争うトップオーケストラも、天才指揮者の脳裏で鳴り響いている前人未踏のブラームスの大歓喜を現前できず、無情にも終局を迎えるのでした。

従ってこのブラームスの演奏は、彼らが実際に音にできた音楽によってではなく、むしろ演奏しようとして果たせなかった未聞の音、不可能の音楽の暗示によって偉大とされるべき演奏と評すべきでしょう。


遠つ国より訪れることを止めし人うべないつつも憎くもあるかな 茫洋

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