照る日曇る日第430回
前半の「鎌倉幕府と天皇」は河内祥輔氏、後半の「古典としての天皇」は新田一郎氏の担当。
桓武天皇の死後、平安時代の摂関期には平治の乱など全部で4つの不安定期があったようで、それらを「朝廷・幕府体制」を基調とした皇室の「正統」争いとして年代別に分析していく河内氏の解説は理路整然としているだけでなく1901年の菅原道真の失脚と、平治の乱との本質が朝廷の再建運動であると喝破したり、頼朝の蜂起の前ぶれとなった以仁王の敗走の真因が、アジールとして逃げ込んだ園城寺に源頼政を迎え入れたことにあると指摘するなど、随所に新たな知見を盛り込んでエキサイテイングだ。
ところが南北朝の後醍醐天皇を経て足利氏の室町幕府、応仁の乱を担当する後半の新田氏の論考は、いくら読んでも論旨が曖昧模糊としており、肝心の日本語の表現が拙劣で、粗野で、滋味に乏しく、読者である一般大衆により分かりやすく魅力的な文章を書いてやろうというサービス精神も皆無である。
しかし東大の教授だというこの学者は、果たして自分で自分が書いた内容を理解できているのだろうか? 甚だ疑問だ。それにいくら歴史の専門家とはいえ、こんな醜い日本語を書き散らしていいはずがない。本書の前半部の著者の爪の垢でも飲んで一日も早く基本的な教養を身につけてほしいものである。こんな人物に執筆させた出版社も猛省せよ。これまでの著者の中のワーストワンだ。
蛇苺小さな朱と生まれけり 茫洋
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