Sunday, February 06, 2011

スカラ座のロッシーニ「ランスへの旅」を視聴して

音楽千夜一夜 第180夜

2009年4月14日に行われたオターヴィオ・ダンドーニ指揮ミラノ・スカラ座の公演のライヴです。ランスの旅館に宿泊しているオーストリア、フランス、スペイン、ロシアなど世界の国々から集まった男女が、ランスで行われる戴冠式に出かけようとして勃発するくだらないさまざまなハプニングを、いわばグランドホテル形式のオペラに仕上げた才人ロッシーニの代表作です。

この知られざる大曲が、近年急速に評価されるようになった陰には、このオペラを溺愛するピアニスト、マウリチオ・ポリーニのプロモーションもあずかっているのでしょう。彼はいまから20年以上前にこのオペラを自ら指揮してドイツ・グラモフォンに録音しているほどです。

しかしポリーニで聴いてもほかのプロの指揮者で聴いても、この曲のどこがどうおもしろいのか私などにはてんでわかりません。だいたいロッシーニの音楽は、あの有名な「セビリアの理髪師」にしろ「ウイリアム・テル」にしろ、この「ランスへの旅」にしろ、音楽の内容はまったく変わりません。ちょうどブルクナーの交響曲が、0番でも9番でも本質的には変わらないように。

掛け合いの早口言葉の速度を次第にアップして、例のロッシーニ・クレシェンドで耳をくらくらさせようとする軽佻浮薄でワンパターンなアリアの連発であほばか観客を魅了しようとする作曲家の単純で幼稚な戦略はあまりにも見え透いているし、音楽の痴呆的な楽しさはあっても、バッハやモールアルトに備わっている深さなどこれっぽっちもありはしない。思想も思索もない動物脳が機械的に大量生産した阿片的・麻酔薬的無内容楽譜の集成にすぎません。そういう意味では本邦特産の演歌や最近のサランラップでくるんだ同工異曲の音楽といってもよいでしょう。

このようにそもそも阿呆な作曲家が濫作した阿呆な音楽なので、これに身を委ねるためには観客も急いで阿呆になる必要があります。「踊る阿呆に見る阿呆」とは阿波踊りだけではなく、ロッシーニの音楽についてもあてはまる屁理屈だったのです。安全保障条約が自然承認された夕べに天下のインテリゲンチャンが涙ながらに赤とんぼを歌ったという身の落とし方とも関連する次元のお話です。

だからといって私がこれらの音楽に価値がないと云うているのではありませんから念のため。「蓼食う虫も好き好きだね」と言っておるのです。それにしてもどうしてあのポリーニがアバドにさきがけて「ランスへの旅」を指揮したのでしょう?

私は音楽表現に完璧を求めるあまり、10本の指だけ達者な神経衰弱テクノクラートと化して偏頗で貧相な演奏を延々と続けてきたポリーニ(そして全盛期のミケランジェリ)のほとんど病気のピアノ演奏を昔からてんで評価できませんが、(もっとも80年代のイタリア地方都市でのモーツアルトの弾き振りなど音楽の広大な沃野へと自己を解放できた数少ないよい演奏もある)、みずからの音楽の行き詰まりを誰よりもよく知る超優等生だけに、きっと本能的に、その対極にあるロッシーニの痴呆的音楽世界に、その疲れた心身を憩わせたかったのではないでしょうか。

新進気鋭の指揮者オッタービオ・ダントーネ、ベテラン演出家のルーカ・ロンコーニを起用したこの3時間半におよぶ大演奏も、私のようなロバの耳には世界最高の名器であるスカラ座のオケの宝の持ち腐れでありました。


くそったれ2カ月も発注がなければ自由業は干上がっちまうよ 茫洋

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