Tuesday, February 01, 2011

ジョン・カサベテス監督の「フェイシズ」をみて

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.83


1968年制作のモノクロ映画の内部に、この時代の自由とアナーキーと人間の孤独がずっしりと刻印されている優れた作品で、ここに後年の名作「壊れゆく女」の源泉がある。

 最初は愛し合っていた男女の間にいつのまにか忍びこんだ異分子が静かに増殖し、彼らの生と性を中性化させ、無化し、徐々に腐敗させていき、それらがある閾値に達するや相互関係性の矛盾が爆発、沸騰するありさまを、カサベテスは1組の夫婦を題材にする化学実験者のような冷徹な視点で息長く追跡していく。

 初老の夫を演じるジョン・マーレー、年下の妻を演じるリン・カーリンを基軸にした「第2の恋の物語」の歯車がぎりぎり回るたびに、2人のそれぞれの相手役のジーナ・ローランズとシーモア・カッセルの立場も微妙に変化する。長年連れ添った妻を捨て、愛する娼婦ジーナとの一夜を終えて帰宅した夫が見たもの、それは若者とのアヴァンチュールに走ったものの睡眠薬自殺を図った妻の哀れな姿だった。

 いったん壊れた愛を捨てて新たな愛を見出したはずの2人に、はたしてどのような未来が待ち受けているのか。「それは2人の問題だ。勝手に決めればいいさ」と言いながら、カサベテスは突然フィルムを終わらせる。するとこの2人の抱え込んだ問題が、そのまま私たちの問題になるというように、映画は巧みに設計されている。

それにしても昔から世界中のどこにも転がっているありふれた人々の愛の様相を、この監督は、なんとあざやかに切り取ることか。


ハイドンの「五度」聴き終えて春の雪 茫洋

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