Friday, December 31, 2010

新春

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。



元旦や何事も無き有り難さ 茫洋

Thursday, December 30, 2010

西暦2010年極月茫洋狂歌三昧

♪ある晴れた日に 第83回


なんだって後出しじゃんけんで偉さうに歴史を裁くなダンテ

円安の時は黙って左団扇円高になれば泣いて文句言う幼児の如き輸出企業

ひだりぎっちょなので小便も左に向かって飛んで行く

ロシアといえばイワンの馬鹿を思うロシアの馬鹿

三台のポルシェとスタインウエイ持つ青森県の山林王の奥さん

借金が税収より多き国埋蔵金を探して歩く人もなし

山の音はわが心韻にして神韻なり山の音す

横山のフクちゃん宅の桜の宴プールに飛び込みしは赤塚不二夫

そういえばそういう人もいたわねえなどいわれつつ静かに消える

介護せず介護されずに生きてあれば天国にある心地こそすれ

営業は真心に尽きるなり逗子ホームイング石田店長

なにゆえに福田の里より電話しないホームステイの息子よ元気か

いっちょ戦争でもやりたいなとアホ餓鬼ども騒ぐ

いくたりも夥しき死人出せる家並び鳶舞う鄙を鎌倉と呼ぶ

七百年あまたの死者を葬いし小さき鄙を鎌倉と呼ぶ

どうだんの躑躅の花は火と燃えてわが魂に燃ゆる修羅の炎

音楽の心も知らず音楽を製造している音楽産業

天も裂けよ地も割れよビオラを擦る一〇人の男たち

藤原義江
声美しき人心清しと刻まれて我等のテナーここに眠る 

「そして夢」と花崗岩に刻まれし私の義父を西陽照らせり

バス停で息子を殴りし「しょうじ」てふ表札尋ぬる極月の宵

貫之
「だ」で書くと男「です」で書くと女になったような気がします 

なにゆえにいま生まれしか黄色なタテハ

わが魂の奥に燃ゆるか紅蓮修羅

わらわらと松の廊下を駆けにけり

紅白のさざんかに埋もれ冬籠り

われは夫君は妻目と目の間で魔物が笑う

年賀状はださないことにしました来年は

香川逝けり子規さながらに極月十二日

星月夜鎌倉の闇の深さかな

星ノ井や君の瞳とわが瞳



鎌倉の朝日巻頭を飾りたる「鳥とりどり」の連載終わる 茫洋

Wednesday, December 29, 2010

ブダペスト弦楽四重奏団の「ベートーヴェン全集」を聞いて

♪音楽千夜一夜  第173夜

これも1枚200円也のソニーの廉価盤の8枚組ですが、値段と演奏はともかく録音のひどさは目に、いや耳に余ります。

同じ演奏をLPレコードで聴いてみると、かなり楽器に近接したオンではありますが、大きく生々しい音がしてそれほど悪くはない録音なのに、これではCDにした意味がない。

いやそういうレベルの話では、どんなハイテクを駆使したデジタルCDも優秀録音のアナログレコードに「音楽的音響のクオリティ」としてはかなうはずがないのですが、この商品を聴き続けると私の耳を痛めてしまう危険があるので、全部は聞かないまま栄えあるお蔵の殿堂入りとなりました。

これに似たひどい録音としては、リリー・クラウスのステレオによるモーツアルトのピアノ・ソナタがありますが、これもコロンビア・ソニーの悪質な技術者の手になるものでした。

クラシックの録音といっても、別にクラッシックのマニアが担当するわけではありません。音楽芸術とはまるで無縁な単なる工学技術者が、録音やマスターテープの作成、リマスター作業にかかわっているために、昔も今もこういうアホバカ珍現象が起こるのです。ウィルヘルム・ケンプの2度目のベートーヴェン全集を担当したドイツグラモフォンのテクノ馬鹿が、いかに天真爛漫な芸術家の心と創作意欲を傷つけたかは、そのCD録音を1回目のモノラル録音と聴きくらべてみればよく分かりますし、さきに挙げたクラウスのモーツアルトを、モノラルの韓国EMI盤と比較してもつぶさに体感できるはずです。


音楽の心も知らず音楽を製造している音楽産業 茫洋

ギュンター・ヴァント指揮ケルン放響の「ブルックナー交響曲全集」を聞いて

♪音楽千夜一夜  第172夜

ギュンター・ヴァントが指揮するブルックナー! こう印字しただけで、私の脳内は彼がやってのける、あの立派で、高潔で、非の打ちどころのない音楽に満たされていく快感を覚えてしまう。それは私が最も高く評価するチエリビダッケのミクロの決死圏を遊泳する極限の演奏とはまったく違うオーソドックスにして自然体の演奏であるが、1番でも6番でも、全9曲のどれをとっても変わらない彼独自の美質である。

まあ実際に聴くなら、できれば8番がいいことはいいが、でもあの小沢がそれしか振れない2番だっていいのである。そのあくまでもスコアに密着して、スコアの裏側にある作曲者の意図を、真意を、清く正しく美しい音として表出しようとする心根と、そのアウトプットの恐ろしいまでの高品質はバルリンフィルが相手だろうが、北ドイツ放送交響楽団であろうが、このケルン放送交響楽団であろうが、まったく変わらないのである。

世間では晩年のベルリンフィルとのライヴを好むひとも多いようだが、私はむしろ彼の手兵であった2つの放送交響楽団の演奏をとる。ベルリンフィルは彼を尊敬していたが、彼はそうでもなくて、その微妙な齟齬が同じブルックナーに表れている。ちょうどクライバーがバイエルンの州立オペラに感じなかった微妙なねじれがウインフィルとやるときに露頭しているような微妙な齟齬が。

昔小沢の恩師であった斎藤和英英和辞書の著者の息子が、「形より入れ、しかして形より出でよ」と、のたまわったが、その究極の理想をこれ以上にはない形で見事に実現してのけたのは、その不肖の弟子ではなくてこのヴァントだったのである。


「そして夢」と花崗岩に刻まれし私の義父を西陽照らせり 茫洋

Tuesday, December 28, 2010

ベルリンフィルの「モーツアルト集」を聞く

♪音楽千夜一夜  第171夜


昨日と同じソニーの超廉価盤でモーツアルトの7枚組を聴いてみました。この「聴いてみました」を私はよく「聞いてみました」と印字しているが、それで前者は少しく熱心に音声に耳を傾けるという点で後者と趣を異にするということを知らないわけではありませんが、字義としてはどちらでも間違いではなく、それに私は仕事をしながら音楽を聞いていることが多く、かてて加えていつも頭がぼんやりしているので、まあその大半が聴くではなくて聞いておるのです。

さてこのCDセットには、モーツアルトの代表的な交響曲10曲とポストホルンフォルンなどの著名なセレナード、そしてあの有名なバイオリンとビオラのためのシンフォニア・コンチエルタンテなども添えられており、それらを演奏しているのが全部ベルリンフィルなので、モ氏ファンには絶対に逸すべからざるコレクションと言えるでしょう。

バルリンフィルのいいところは、なんといっても音楽への前のめりの集中力の凄さでありましょう。彼らは常に指揮者よりも早く音楽に「熱中」し、「指揮者の棒を待たずに、自分がこうだと思う音を朗々と奏でる勇気」を持つ演奏家を数多くかかえていることで、まさにこの点において、失敗を死ぬほど恐れるかの東洋一あほばかN響はもとより欧州一のウイーンフィルよりも貴重な存在といえましょう。

死せるカラヤンに率いられた彼らが、ブラ一のコーダを全身を四方に揺らせながら忘我の恍惚状態の中で夢中になって演奏しているビデオを見て、私は彼らの音楽への献身に思わず涙した日のあったことを、いまでもよく覚えています。

それから、k550と551を見事に鳴らしている晩年のカルロ・マリア・ジュリーニとグランパルティータを振っているかの凡庸極まりないズンドコ・メータを除いて、その大半がクラウディオ・アバドの指揮であることもこのCDの商品価値を高いものにしています。

それにしても確か70年代のはじめにベーム翁に連れられて初めて来日し、ウイーンフィルとまことにつまらないベートーヴェンの7番を演奏したあの痴呆馬面のミラノ男が、ベルリンフィルを弊履の如く投げ捨てたあとに、これほど素晴らしいマエストロに変身するとは、いったい誰が想像したでしょう。
 

  天も裂けよ地も割れよ死地に乗り入るビオラ一〇人衆 茫洋

Monday, December 27, 2010

ジェームズ・レヴァインの「マーラー交響曲集」を聞いて

♪音楽千夜一夜  第170夜

 豚のように太った人間はいくらその中身がよくっても、見るからに嫌なもんだが、(例えばイジュウインなんとかという豚。もっと節制せよ!)音楽関係ではパバロッティとこのレヴァインだけは例外だ。もっともっと太れ。太ってもかまわないと、と言いたくなってしまうから私もいい加減なもんだ。

私がこの太った指揮者のマーラーを聞いたのは、もう30年以上前になるだろうか。フィラデルフィア管を振った「巨人」と呼ばれているホ短調交響曲は、同じ曲のワルターの演奏と並んでいわゆるひとつのマイ・フェイバリトゥ・レコーズであった。

ショルテイやバアンスタインやバルビローリやテンシュタットなどが一時の激情に駆られてオケをあおるところを、この指揮者はかえって冷静に、そして抒情的に演奏しているのがことのほか印象に残り、これは誰の影響かと考えてみると、彼の師のジョージ・セルの教えなのだった。セルの1番や6番に耳を傾けてみると明らかにその瑞々しい幽かな源流と出会ったような思いがするのだった。

そうして魔粗の世がバアンスタイン、ゲルギエフなどの動脈派とアバド、ブーレーズ、シャイイーなぞの静脈派に大きく2分化されていく流れにあって、ラトルやヤンソンスなぞはあえてその中庸をいこうとしているかにも見ゆるのであるが、まあマーラー自体の音楽にあまり評価できない私としては、クラシカル・ミュージックの原体験ともなったこのレヴァイン盤を懐かしく聞いてみたことだった。

残念ながら2番が入っていないが、他の全曲が10枚2490円で一挙にわがものになるというのはなんといっても近来の朗報ではなかろうか。どれも素敵な演奏だが、あえて取るなら10番か。


声美しき人心清しと刻まれて我等のテナーここに眠る 茫洋

Saturday, December 25, 2010

小川国夫著「襲いかかる聖書」を読んで

照る日曇る日 第396回

一瞬、彼の遺著「弱い神」以降の作品が発掘されたのかと思ったが、そうではなく、彼の昔の作品をどこかの誰かが編んだ「聖書」を軸にしたエッセイと対話集と未完の小説によるアンソロジーであった。題名にしても彼がつけたものではないだろう。誤解を招くような本を出してほしくないものである。

しかしながら、いま読み直しても80年代の終わりに埴谷雄高との間で交わされた往復書簡の彼による「妄想」の強度と深度と伸張度は異数のもので、彼の広大無辺の思索の範疇には、ゴーギャン、ドストエフスキー、カント、ロマ書、コリント後書、ダンテ、芥川、荘周、ゴッホなどが含まれ、私たちを存在と非在の彼方へと遠く連れ去っていく。

とりわけアルルで耳を切り、オーヴェル・シュル・オワーズであばら骨に銃弾を撃ち込んだゴッホと、漠然とした不安から自死した芥川とを、「準イエス」と規定し、その2人に想像力と創造力の限りを尽くして妄想対話をさせるくだりは興味深く読めた。

人間には「永遠に守らんとする者」と「不断に成りつつある者」とが存在し、おおかたは前者に属するが、パリからアルルに赴いたゴッホは「死の豊饒」に向かって熱烈に、意志して、成らんとしていた、と説く著者の妄想はけっして妄想ではない。そのことは、ゴッホが、ここカタリ派の聖地で描いた「星月夜」を見れば一目瞭然としている。


「不断に成りつつある者」を存在の根底で突き動かすのは、「永生」への希求ではない。変わらざる死への衝動であり、永遠の死、すなわち「永死」に向かって自己投棄、自己消失しようとするバニッシング・ポイントへの突進である。

「準イエス」としてのゴッホや芥川が、真キリストとしてのイエスに向かうのは、イエスがすでに幾多のバニッシング・ポイントを通過してきた大経験者だからだ、と説く著者は、こうも述べている。

「この不断に成りつつある者は、すでに何回も何回も自分を消した。だから世に喧伝される復活を成し遂げる前に、すでに復活体だった。彼は普通の流れの外に出ていたんだ。創世の時から存在したというのも、その意味なんだろう」

ふむ、その言うやよしと言うべきであろう。

バス停で息子を殴りし「しょうじ」てふ表札尋ぬる極月の宵 茫洋

メトのプッチーニ「トゥーランドット」を視聴する

♪音楽千夜一夜  第169夜

やはり昨年の11月7日に行われたメトロポリタン・オペラ公演のライブ収録です。

指揮者はアンドリス・ネルソンズという若い人。果物で言うと青い梅のような生硬さが随所に顔をのぞかせ、先輩のジェームズ・レバインに比べたら10年早い音楽家ですが、まだまだこれから成長するはずです。

題名役のヒロイン、マリア・ゲレギナはものすごい剛腕、じゃなくて剛音の持ち主。フォルテからピアニッシモまで広大な空間の隅々まで音が飛んでいきますが、聴き惚れるような声の質ではありません。ミグ戦闘機の爆音みたい。

トゥーランドット姫に恋するカラフ王子のマルチエロ・ジョルダーニとピンポンパンの3馬鹿大臣も健闘していましたが、3幕の例の「誰も寝てはならぬ」のアリアでは、どうしても死んだパバロッティの激唱を思い浮かべてしまいます。

リューのマリーナ・ポプラフスカヤと老王サミュエル・レイミーは、見事に観衆の涙を引き出す名唱。冷酷な女王トゥーランドットに対してリューはいつでも儲け役です。
あとは当年とって82歳のチャールズ・アンソニーがトゥーランドット姫の父親役でしぶいところを見せていますが、なんといっても最大の見どころはフランコ・ゼフィレッリの壮大な見世物美術と群衆シーンの卓越した演出ぶりでしょう。いつまでも残しておきたいセットです。

それにしてもせっかく3つの難問に、「希望、血、姫」と正答したにもかかわらず、王子との結婚を拒む姫も、それに対して「わが名を当てよ」と逆の出題をする王子も、まっこと不条理を極める中華帝国的プロットであることよ。まあオペラの脚本なんて、めちゃめちゃなほうが、ドラマがうまくいくんでしょうが。


借金が税収より多き国埋蔵金を探して歩く人もなし 茫洋

Friday, December 24, 2010

長谷の「甘縄神明宮」を訪ねて

鎌倉ちょっと不思議な物語第238回&茫洋物見遊山記第51回

甘は海女、縄は漁の縄という説があるそうですが、さあどうでしょうか。この甘縄神明神社、別名甘縄神明宮は天照大御神を祀っていますが、和銅年間(708-715年)にこのあたりの豪族染谷太郎時忠が建てた鎌倉で一番古い神社といわれています。頼朝の祖父頼義、父の義家の代から源氏にゆかりのある神社です。

神社のたもとには頼朝の最有力の御家人の一人であった安達藤九郎盛長屋敷跡という鎌倉青年団が建てた立派な石碑があり、往時は神社の前が彼の広大な武家屋敷であったと推定されていましたが、最近の研究では安達一族の本拠はここ甘縄ではなく、いまの鎌倉市役所の南方にある佐助近辺の無量寺谷にあったと考えられています。

頼朝が毎日のように訪問したり、宝治合戦の折に安達景盛の軍勢が鶴岡八幡宮を突き切って三浦泰村邸に突撃するためには、安達の本拠がはるか遠方の甘縄では吾妻鏡の記述と平仄が合わないからです。ここ無量寺谷の中心に所在した無量寿院が安達家の菩提寺でありました。

 しかし北条家と密接な姻戚関係を取り結んだ安達家の歴史を物語るかのように、この甘縄神明宮の石段の下には小さな井戸があり、「「北条時宗公産湯の井」という札が立っています。「北条経時や時宗の母である松下禅尼は安達氏出身ですから、そういう伝説が生まれたのでしょう」と鎌倉市教育員会発行の「かまくら子ども風土記」には書かれています。甘縄神明宮のすぐ傍には川端康成邸がありますが、近所の人の話では、この辺りではいまでも時折「山の音」が聴こえるそうです。


山の音はわが心韻にして神韻なり山の音す 茫洋

Thursday, December 23, 2010

坂ノ下の「御霊神社」を訪ねて

鎌倉ちょっと不思議な物語第237回&茫洋物見遊山記第50回


星ノ井の近くにある名物の力餅屋の近くにあるのがこの御霊神社で、祭神は鎌倉権五郎という勇猛な武将です。

源義家に従って「後三年の役」(1083-87)に出陣した権五郎は、秋田の金沢の柵を攻めたとき、先頭に立って大活躍をしましたが、その際敵から右目を射られました。彼はその矢をそのままにして矢をつがえ、相手を倒してしまいました。

その後味方の三浦平太という武士が毛皮のくつをはいた足で権五郎の顔を抑えて矢を抜こうとしたら、その無礼に怒った権五郎が刀を抜いて殺そうとしたので、平太は非礼を謝罪して、今度は膝で額を抑えながら矢を抜いたそうです。いずれにしても麻酔なしですから、ずいぶん痛かったことでしょうね。

社殿の前には弓立ての松が置かれていますが、これは権五郎が領内を回るときに弓を立て懸けて休んだというひとかかえもある大きな松の木をくりぬいたものです。

それから権五郎の命日である9月18日には、毎年お面をかぶった人たちが行進する「面掛け行列」が行われますが、これは神奈川県指定の無形民俗文化財となっています。
 またかつてこの御霊神社の近くには、国木田独歩が住んでおりました。


  三台のポルシェとスタインウエイ持つ青森県の山林王の奥さん 茫洋

Wednesday, December 22, 2010

秋山哲雄著「都市鎌倉の中世史」を読んで

照る日曇る日 第395回&鎌倉ちょっと不思議な物語第237回


まったくなんの期待もなく読み始めた本なのに、これはびっくり驚いた。「吾妻鏡の舞台と主役たち」という副題がついた本書で、著者は、鎌倉とそこに生きた人々の生活と歴史を根本的に見直し、いくつもの目覚ましい成果を上げています。

 例えば当時の御家人たちがどこに居住していたかという問題。私は三浦、北条、小山、安達、宇都宮、千葉、和田など頼朝恩顧の宿老や一族の大半がずーっと「在鎌倉」であったとなんとなく考えていたのですが、本書によればそれはとんでもないことで、彼らの多くがその本貫地と鎌倉をその必要に応じて行き来しており、「いざ鎌倉」以外の時は年中無人の宿舎や館を他人に貸したりしていたそうです。また御家人に3人兄弟がいる場合には、在国と在京と在鎌倉で住み分けたりしていたというので驚かされました。

 もっと驚いたことは、長年にわたって私が市内をうろつきながらてんで解明できなかった北条一族の邸宅や御所の位置が、これまで私が鼻歌をうたいながら読み飛ばしてきた「吾妻鏡」の深読みを手掛かりに、まるでクロスワードパズルを解くようにものの見事に特定されていることでした。

現在の宝戒寺一帯が北条氏最後の執権高時の邸宅であるばかりか、北条義時、時房、時頼邸でもあったこと、また小町大路をはさんだその西隣が北条泰時、経時、重時邸および御所であった(現在の吉田秀和邸!)とは露知らぬことでありました。
 
義時、政子を相次いで喪った泰時は未曾有の政治的危機のさなかにあったわけですが、そのとき泰時は、電光石火の早業で「掌中の玉」である三寅を自邸近くに引っ越しさせると同時に、四大将軍に就任させ、次の段階では突貫工事で宇都宮辻子の新御所を完成、将軍と執権の一体化を果たしておのが権力をはじめて不動のものとしたわけですが、著者はこの薄氷を踏むような一連のプロセスを、これまた「吾妻鏡」の精読と鋭い考証によって見事に跡付けしています。

 さらに「鎌倉にはどうして寺院が多いのか?」と自らに問うた著者は、1)北条氏が先祖が住んでいた邸宅をその死後次々にお寺にしていった(建長寺、浄智寺、東慶寺など)、2)「東六浦、南小坪、西稲村、北山内」の鎌倉の四つの境界にそれぞれ巨大なランドマークを築こうとした。(大佛、極楽寺、大慈寺など)3)敵味方なく鎮魂する平和思想のあらわれ(円覚寺、勝長寿院、永福寺、宝戒寺など)とみて、まことに説得力のある回答をみずから引き出しているのです。

 この本は、1994年以来16年間にわたって鎌倉の遺跡発掘作業に従事し、「汗と土と泥と時折のビールにまみれた」若き学徒のたゆまぬ精進が、豊かに報われた記念碑的な鎌倉研究書といえるでしょう。



横山のフクちゃん宅の桜の宴プールに飛び込みしは赤塚不二夫 茫洋

Tuesday, December 21, 2010

極楽寺坂下の「星ノ井」を訪ねて

鎌倉ちょっと不思議な物語第236回


鎌倉は水の悪い土地でしたが、一〇の井戸と太刀洗い水など5つの名水がありました。

平安時代の有名な歌人、藤原公任に

われひとり かまくらやまを こえゆけば 星月夜こそ うれしけれ

という和歌があり、星月夜は鎌倉の枕詞となっていますが、この「星ノ井」という名前はこの一帯を「星月夜が谷」と称したことから命名されたといわれています。

この辺りは昼なお暗いところで、昼でものぞけば星が輝いていたことが奈良時代の行基の伝説にも伝えられています。全国を行脚していた行基がこの井戸をのぞいてみると3つの明星がきらきらと輝いていたそうです。土地の人に掘らせてみると、底から珍しい石が出てきたので、行基はこの石を虚空蔵菩薩の像に刻んで、近くの山腹に安置しました。それが現在星ノ井隣の石段を上ったところにある「虚空蔵堂」です。

名水として知られる星ノ井は、昔から貴重な飲料水として販売されていたようです。小説家広津和郎の「静かな春」(昭和48年)にはその高い評判が記されていますが、彼の父柳浪は「この水は明礬が混じっているからお茶が濁ってだめだ」と排斥したので、近所の酒屋が、「これがだめならどこの水がいいんだ」と言って驚いたという話が書かれています。

太宰治の墓前で自殺した田中英光は、昭和40年の「われは海の子」で「青みどろの水を湛え底深く光る井戸は一種の鏡であった」と記していますから、まだそのころまでは清らかだったのでしょうが、現在では井戸の上に細竹を敷き並べたふたがしてあるので、中も覘けませんし水も汲めないのが残念です。

以上は、鎌倉市教育員会発行の「かまくら子ども風土記」と鎌倉文学館の資料をもとに書きました。

星月夜鎌倉の闇の深さかな 茫洋


星ノ井や君の瞳とわが瞳 茫洋

Monday, December 20, 2010

ジョゼフ・コラネリ指揮メトで「トスカ」公演のビデオを見る

♪音楽千夜一夜  第168夜


昨年10月10日に、NYのメトロポリタン・オペラハウスで行われた「トスカ」のライブ放送です。

指揮者は名前を聞いたこともない中年男でしたが、いわゆる職人肌の劇伴に徹していて、ヒロインのカリタ・マッティラやヒーローのマルセロ・アルバレス、敵役スカルピアのジョージ・ギャクニックをそれこそ思う存分のびのびと歌わせます。

最近のオペラ指揮者はウエルザー・メストなど100人が100人ことごとく神経衰弱のえせインテリばかりで、いろいろ能書きを垂れたり、棒振りの恰好をつけたり、細部を異様なまでに修飾したりすることにいそしんでいますが、んなこと誰も求めてはいないんですね。

オペラの本質は歌の爆発ですから、どんどん歌手に自由に歌わせてやっていただきたい。交響曲とオペラを勘違いして歌手の声をぶち殺すような大音響を鳴らしたり、歌手に呼吸させなかったりする似非マエストロばかりが世界中のオペラハウスで稼ぎまくっているのは、それをやたらと有り難がってブラボ、ブラボと絶叫しているあほばか観衆にすべての責任があるのです。

それはともかくこの演奏、歌唱も劇伴の琴瑟相和して丁々発止、さしつさされつボルテージが次第に上昇し、自然な感興がときに爆発して聴衆の涙をさそいます。
このオペラに出演中のカリタ・マッティラが、「今夜は恥骨にジンジン来るわ」なぞとじつにとたまげた感想を、幕間のインタビュアーに口走っておりましたが、まことにその通りの音と歌の饗宴となりました。

リュック・ボンディの演出もなかなかのもので、最近のふざけたあほばか演出家と違って、音楽をぶち壊しにしないヨーロッパ的な知性がことのほか気に入りました。

そこで私もこの際珍しくブラボー三唱。ブラボー!メト。ブラボー!プッチーニ。ブラボー!カリタ。


年賀状はださないことにしました来年は 茫洋

Sunday, December 19, 2010

五味文彦編「現代語訳吾妻鏡9執権政治」を読んで

照る日曇る日 第394回&鎌倉ちょっと不思議な物語第235回

私の偏愛する3大将軍が北条家の陰謀で暗殺されたあとは、もう悪辣非道な北条一族が頼朝ゆかりの宿老たちをまるで鶯をなぶり殺しにするタイワンリスのように血祭りに上げるだけの陰惨な悲劇の連続と相場が決まっているので、ほとんど関心がない吾妻鏡であるが、それでも読んでいるといくつかの発見がある。

時政の後を継いだ諸悪の根源北条義時は元仁元年1224年に62歳で急死し、弟の泰時が京から呼び寄せたれて弟の時房と共に執権の座につくが、当初のその権力基盤ははなはだあやういものであったことが彼らの姉の政子の動静を追っているとよくわかる。

わが子源家ゆかりの頼家、実朝の2人のわが子を見捨てて北条一族のお家大事に原点回帰したこのけなげな女は、御家人の離反をなんとしてもさけようと昼夜をわかたず懸命に奔走している。当時の最強の後家人はもちろん相模の国の半島に磐居する三浦一族の長義村であるが、閏7月1日の条では、泰時・時房の傍らで4代将軍頼経をひしと抱いた政子は義村を帰すまいと朝まで身をもって引きとめているのである。

その後も鎌倉の騒乱は収まらず、その都度北条は三浦一族の反乱を死ぬほど恐れていたことがうかがえるのであるが、捨て身ともいうべき政子の懐柔が乾坤一擲見事に成功したために、お人好しの義村は蜂起の決定的なチャンスを失い、この希代の女性政治家は嘉禄元年1225年7月、精魂尽き果てたように69歳で卒した。

北条家最大の危機を政子の最後の、命懸けの政治活動でしのぎ切った北条氏は、その22年後の宝治合戦で、関東最強武士団三浦氏を完膚なきまでに殲滅したのである。

もうひとつの発見は、この時代の寺社仏閣の創建がいとも短期に果たされていること。
例えば泰時による若宮御所の宇津宮辻子への移転は、わずか1月足らずで実施されているし、わが家の近所の大慈寺の丈六阿弥陀堂などは3月29日に審議がまとまって4月2日に上棟されている。

幕府は工事の場所や日時については京からやって来た陰陽師の安倍一族に何度も何度も占わせて慎重を期しているが、いざ決定すると猛烈なスピードで完成させていたようだ。ちなみにこのお堂の丈六の仏頭は塩嘗地蔵で知られる光蝕寺の本堂に安置してある。飛鳥大佛を想起させる縄文風のアルカイックな風貌がユニークである。


七百年あまたの死者を葬いし小さき鄙を鎌倉と呼ぶ 茫洋

Friday, December 17, 2010

林望訳「源氏物語四」を読んで

照る日曇る日 第393回

身から出た錆びの性欲肥大の罪障によって配流された明石から見事京に帰還した源氏は、その後いかなる運命のいたずらか、とんとん拍子に位階人臣を極め、六条の広大な敷地に泉水、庭園、美女、下人、牛馬を備えた大邸宅を構えて、東西南北の要所要所におのれの女を住まわせます。源氏時に三六歳、思えばこの時がかれの生涯の絶頂期だったのではないでしょうか。

東南の春の御殿には正妻の紫上、西北には配流の地で調子よくモノにしたちょっとローカルな味がイケてる明石の姫君、夏の屋方には酸いも甘いも嚙み分けた浮かれ者の超ベテラン熟女花散里、(私はこのひと大好き!)、西の御殿には宿命のライバルである権中納言(ほら昔雨夜の品定めに興じていた頭中将ですよ!)が夕顔に生ませた鄙育ちの美女、玉鬘、そして西南に位置する秋の御殿にはなんと冷泉帝の中宮にして六条御息所の娘である貴婦人、梅壺までもがどういう風の吹きまわしだか拉致されて侍っており、われらが主人公の夜の訪れを心待ちにしているというのですから、こりゃたまりません。いくつ身体があってもタラない、というまことに男冥利に尽きる話です。

かててくわえてそれまで源氏が棲息して夜間活動を享楽していた二条邸の拠点には、これまでもいろいろ出入りのあった空蝉や末摘花選手など、いまや天然記念物、絶滅動物並みの遭遇となった源氏との逢瀬を、今か今かと待つ望んでいるというありさまなのです。

しかし蝶と花の命はあまりにも短かくて、その得意の絶頂も長くは続きません。うららかな春夏の後には、心さびしい人生の秋冬が、ほれ、もうすぐそこまで忍びこもうとしているのでした。

この世の権力と快楽のすべてを味わい尽くした色男の頂点を、これ以上ない華やかさで描き尽くしておいて、やがてガツンと地獄へ突き落す。世界最高の小説家、紫式部の剛筆が、残酷なまでに鮮やかに冴えわたるのです。


   紅白のさざんかに埋もれ冬籠り 茫洋

フラバル著「わたしは英国王に給仕した」を読んで

照る日曇る日 第392回

現在のチェコに生まれ、1997年の2月3日に病院の5階から鳩に餌をやろうとして82歳で転落死した作家が、ある夏の日に激しい日差しにさらされながら3週間で一気阿成に「アクアション・ライティンング」したカタリが本書です。

 主人公はナチ侵攻中のプラハでホテルの給仕をする小男なのですが、読めばわかるように別に給仕でなくとも成立する話、いな小噺です。ホテル・パリの名物給仕長は英国王に給仕したのですが、この小説の主人公はエチオピア王に給仕する栄誉と勲章に輝く。

しかしだからどうってこたあないのです。チェコ人でありながら、憎き仇敵であるドイツ娘と愛しあって、その所産としてあらゆるものに釘を打つしか能のない障碍児ができたり、その絶世の美人が爆弾でぶっ飛ばされて首だけがどこかへ消えてなくなったりする。

この地球のどこか遠いところに隠れ住んで、犬や猫やヤギやポニーたちと仲良く暮らす主人公は、私のような田舎者には理想に近い生き方とうつります。

死んじまったら小さな丘に埋めて欲しい。時と共に地面に溶け込んだ残余物がほうぼうの小川から流れ流れて黒海と北海に流れ込み、その2つの流れがそれぞれ大西洋に注ぐようにしてもらいたい、とモノガタリの主人公に語らせる著者を私は嫌いではありません。

ある夏のひと月、サルバドール・ダリの「作られた記憶」とフロイトの「挟みつけられて動きがなくなっていく情動を、カタリりで流出させていく」精神で、頭に浮かぶ由なしこと、根も葉もないことどもを、これでもか、これでもかと描き続けていった誇大妄想狂の記録を、あなたにもぜひ手にとっていただきたいものです。


そういえばそういう人もいたわねえなどいわれつつ静かに消えたし 茫洋

Thursday, December 16, 2010

極月三題噺

バガテルop133

日本経済新聞。
毎日これほど膨大な数字を取り扱う媒体は類を見ないが、石川啄木のような人が校正しているのであろうか。たまには誤植もあるのではなかろうか。この新聞の文芸欄は朝日より充実しているが、最近連載が終わった小池真理子という人の「無花果の森」はお粗末だった。これでも直木賞作家の作品か。結局なにごとも起こらなかった。文学も音楽もなにかが起こらなければぜったいに駄目だ。小澤征爾とN響は死ぬまで待ってもなにも起こらないから駄目なのだ。短い文章なのに日経夕刊でいつもあざやかな火花を爆ぜているのが森岡正博の火曜日のエッセイ。「ソトコト」巻頭の福岡市伸一、林望と並ぶ現代日本語随筆の三筆だ。


菅内閣。
予想通り、いやそれ以上にひどいものだが、そもそも汝政治に多くを期待するなかれ。それほど悲噴慷慨なさるのなら夫子自らやってみなはれ。他人の悪口は言えても自分でやるとなるとなかなか難しいものだよ。昔の明るいナショナル小泉自民党にくらべたら靖国に参拝しないだけでもはるかにまし。われわれとまったく変わらぬ凡人どもが、クラス委員よろしく下手くそなド素人政治やら裁判を悲喜こもごもわいわいがやがややるのが民主主義というもの。戦前のわが帝国や中国やビルマ、ロシアなどに比べればそれこそ天国と地獄の違いだ。ああ、素晴らしきかな、この駄目で無様で最悪な邦、ニッポン! このままよろめきながら遠くまで行けばいいんだ。沈みゆく真っ赤な夕陽に向かって。


NHK。
どうしていまのBS3チャンネルを、来年4月から2チャンネルに減らすのか。下らないあほばか民放チャンネルばかりうじゃうじゃ増やしていったいどうするんだ。総務省のくそたり。

N響 しかなたなく耳にしているが他の民間オケと比べて演奏内容が無個性でひどすぎる。無能オケにして無脳桶。即刻解散して公募でメンバーを再募集するか、経営をNHKから切り離して独立採算制で鍛え直すべし。泣く泣く滅びた新星日響の爪の垢でも煎じて飲め。

「坂の上の雲」のはるか坂下で子規死す。好漢香川照之選手が子規さながらに果てた。じつに立派な死に顔であった。このドラマはかの「龍馬伝」とおなじ伝で国家主義を時を得顔に鼓吹する低俗番組であるが、妙なところで時々面白い。前回は子規が「鶏頭の十四五本もありぬべし」と詠んだ根岸の子規庵がリアルに再現されていた。わが国の近代文学と近代建築の源流は、この粗末な木造平屋のガラス窓を流れていった四季折々の坪庭の風景から出発している。昔私がここを訪れたとき、寒川鼠骨の子孫に当たる年輩の女性が、子規の高弟が子規庵の保存に無関心であることを盛んに訴えて、なかなか帰してくれなかったことをはしなくも思い出したが、さもあらんか。


香川逝けり子規さながらに極月12日 茫洋


おまけの四題目
「親交が深い」。
とは同義反復。トートロ爺。すでにして親し、さすれば交わり深からぬはずがない。記者諸君は、ただ「親交があった」と書けばいいのだ。

Wednesday, December 15, 2010

ヒッチコック監督の「知りすぎていた男」を見ながら

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.67

1956年公開のスリラー映画の傑作。ヒッチは何気なく昼下がりの無人の街路を撮って見せても、それだけで観客を怖いと思わせることができた人。何回見てもいくつもの見落としと新たな発見がある映画です。

今回の発見は、ドリス・デイが熱唱する有名な「ケ・セラ・セラ」のこと。サビのケ・セラ・セラの箇所で、私は後半のセラのセが半音上がっているのに初めて気づきました。ここで上げられると虫歯のホウロウ質が痛くなるような気色悪さがある。どうしてこういう音符を書くのだろうか。

でもきっとあえてそういう風にしたんだろうな。滝廉太郎が「春高楼の花の宴」の最後のエを半音下げたように。しかしレコードを聴くとみんな半音上げて歌っている。これでは作曲家に失礼ではないだろうか。

もひとつこの映画ではバーナード・ハーマンが作曲指揮して広大なロイヤル・アルバート・ホールで演奏される、ああいかにも英国音楽だなあという声楽入りの大曲が鍵を握っています。

恐怖のシンバルが打ち鳴らされるその瞬間を、ドリス・デイも我々も今か今かとはらはらどきどき待っているわけですが、しかし銃弾の引き金を引くその瞬間を、あの暗殺者はどうやって察知できたのかよく分からない。
あの時点ではもうスコアを持ってカウントしていた女性は姿を消していましたからね。よほど音楽的センスのあるアサシネーターだったと思われます。

最後に何回見ても面白いのが、ジェームス・スチュワートに乱入された剥製製造所の面々。カジキマグロやライオンもびっくりでした。


夥しき死人出せる家並び鳶舞う鄙を鎌倉と呼ぶ 茫洋

Monday, December 13, 2010

山本薩夫監督の「華麗なる一族」を見ながら

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.66

山崎豊子と組むと無類の面白さを発揮する山本薩夫の代表作です。この人はいかにもな旧時代型の反体制主義者なおですが、であるがゆえに安心し、かつ、たかをくくって見物していられるところに、いわゆるひとつの偉大なる暗闇的存在価値があるのです。

この映画のいちばんの見どころは、万策尽き果てた万俵家の長男鉄平が国会議事堂のまん前の交差点を赤信号であるにもかかわらず平然と歩いていくところ。親にも、政治家にも絶望して自死を決意した男の孤独と絶望をこれほどさりげなく表出したシーンはないでしょう。

役者は鉄平の仲代達也、父親の佐分利信、情婦の京マチ子、私の大好きな酒井和歌子などみな好演しているが、とりわけ素晴らしいのが大蔵大臣役の小沢栄太郎。なに、彼のどこがいいんだって? この男が喋ると、煙草混じりの口臭がこっちにブンブン来るでしょうが。こういう役者は日本全国どこを探してももういなくなってしまいました。

丹波篠山の山奥で右足の親指で猟銃の引き金を引いて自殺する仲代達也の演技を見ながら、僕ならもっと上手にやってみせると呟き、その4年後に実践してみせた田宮二郎も別の役で出演しています。


介護せず介護されずに生きてあれば天国にある心地こそすれ 茫洋

「あるいは裏切りという名の犬」を見て

「あるいは裏切りという名の犬」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.65

パリ警視庁のある「オルフェーブル河岸36」という題名が、どうしてこのような訳のわからないタイトルになってしまうのか不可解だが、この血なまぐさい警官の殺戮と暗闘の物語は実話だというから驚く。

ともかくパリ警視庁を代表する有力刑事(ダニエル・オートイユ)がひとりは暗黒街のチンピラたちとつながっており、簡単にだましたりだまされたりする。こんなやつがよく警官をやっているもんだ。

ところがもうひとりの、同僚に圧倒的に人気がない刑事(ジェラール・ドパルリュー)は、人気者のライバルが妬ましくてならず、その手柄を横取りしようと大捕り物を失敗させて同僚刑事を死なせたり、ライバルの刑事をちくって牢屋に送ったり、しまいにはその愛妻を殺したりする大悪人。

それなのにライバル不在の間に大出世してナンバー2の警視長として君臨していたというのでまた驚く。しかしこれでは第一の刑事があまりにも可哀想。きっと復讐するに違いないと思って息を殺して見ていたら、結局自分では手を下さなかったのだけれど、自分が主催する華麗なパーティの夜に、通りすがりのあんちゃんにいきなり頭に拳銃をぶち込まれて即死するのでまたまた驚く。

いったいこれってほんとうに実話なのか? パリ警視庁ってこんな連中がたむろしているのか? だったら日本の警視庁は大丈夫なのかしらん。私の家に以前やってきた二人の刑事のレベルは相当低かったけれど。

往年の青春スタア、ミレーヌ・ドモンジョが乳母桜になって登場しているも驚き。おばあさん、お手柔らかに。


営業は真心に尽きるなり逗子ホームイング石田店長 茫洋

Saturday, December 11, 2010

梅原猛著「世阿弥の神秘」を読んで

照る日曇る日 第391回

角川から出ている「うつぼ舟」シリーズの第3巻である。

本巻の主題は世阿弥作品に流れる思想の研究である。著者はわが国の能を主導した世阿弥の代表作を俎上に載せて、その根幹思想を例によって梅原流にえぐり出そうと試みている。

著者は、たとえば世阿弥の有名な「高砂」や「西行桜」「当麻」「鵺」などに「天台本覚思想」における「草木国土悉皆成仏」の通奏低音を聞き取り、世阿弥の反人間絶対主義を評価する一方、「白楽天」では本邦初の文化的・軍事的ナショナリズムの世阿弥的発露が認められると喝破し、さらには修羅能の代表作「清経」の本質にひそむ実存主義的人間像を発掘するのであるが、こうした資料と文献の徹底的な読み込みと独自の創見はかつて著者以外の誰もがなしえなかった成果といえるだろう。

また私は住吉神社がミソギの神であり、航海の神であり、戦いの神であるとともに歌の神でもあることを、本書ではじめて知った。

住吉大社は周知のように表筒男命、中筒男命、底筒男命の三柱を祭るが、神功皇后とも縁が深い。そしてこの神社は、応神王朝が間違いなくアマテラス、神武天皇以来の万世一系の後継者であることを示すために、応神陵、仁徳陵と三点セットで創建したという著者の主張は、はなははな興味深いものがある。

著者が紹介してくれたもっと興味深い話。

それは、神功皇后が反逆者である息子忍熊王とその部下五人の首を、甲と共に近所の山の頂上に埋めたので、その山を「六甲山」と呼ぶようになった、という竹中靖一氏の説である。

この話を聞いた後ではいくら熱狂的な阪神ファンがアホ馬鹿巨人に大勝しても、あだやおろそかに「六甲颪」を歌えなくなるのではないだろうか?


「だ」で書くと男「です」で書くと女になったような気がします 貫之

Friday, December 10, 2010

マイケル・アプテッド監督の「エニグマ」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.65

「エニグマ」はエルガーの曲でよく知られているが、その同じ名前をナチスが自軍の暗号名としていたとは知らなかった。

この映画は、第二次大戦中にそのエニグマの謎の解明に青春を捧げた英国暗号解読チームの知られざる活躍を、彼らの恋と友情、そしてソ連のカチンの森の虐殺事件のエピソードを交えて描いている。

結局彼らの活動のおかげで英軍は暗号解読に成功するのだが、それ以上に興味深いのは当時の友好国ソ連が、カチンの森でポーランド将校を虐殺したことを知った暗号解読チーム内のポーランド人や英国軍の高級将校たちの動きである。前者は敵の敵であるドイツに味方しようとしてスパイとなり、後者はその「危険な」情報を抹殺しようとする。

ケイト・ウインスレットなど存在感の乏しいうすっぺらな役者しか登場しないが、戦争当事者である英国とドイツ両国の資金で製作されたこの映画はハリウッドとは一味違う暗さと重さが底流に流れており、ベテランのマイケル・アプテッド監督がそつなくまとめている。

特筆すべきはジョン・バリーの音楽。ジエーン・バーキンの最初の夫であったこの人は、なにを隠そう私が最も評価している映画音楽家で、彼の最新作を一聴するためだけでもこの映画は価値がある。

わが魂の奥に燃ゆるか修羅炎 茫洋

Thursday, December 09, 2010

山本薩夫監督「続忍びの者」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.65

かろうじて生き残った五右衛門だったが、もう忍者稼業は卒業だ。親子3人水入らずで楽しく暮らそうと思っていたところへ、乱入してきた信長の家来に愛児を殺されてしまう。

怒り狂った五右衛門は、最後に残った一向一揆の拠点であり、妻の故郷でもある紀州雑賀一族に身を寄せ、再び信長暗殺の野望に燃える。そうして家康の隠密服部半蔵と連携しつつ、反信長の先鋒明智光秀をそそのかせて本能寺の変の現場にまぎれこんで宿敵信長を切り殺す。手足を1本1本ちょんぎる残酷さは本編の白眉。さんざん悪事を働き、仏敵を惨殺してきた天下の大悪人を天下の大泥棒が打ち果たすのだから痛快無比とはこのことであろう。

しかし万万歳もそこまで。間もなく信長の後を襲った秀吉(東野英治郎が好演)の軍勢が雑賀一族の砦に押し寄せる。友軍の根来衆を引き連れて砦に戻ってきた五右衛門が見たものは全滅した仲間たちと妻の変わり果てた姿だった。
意を決した五右衛門は秀吉が磐居する聚楽第に忍び込むが善戦虚しく捕えられ、三条河原で釜ゆでの刑に処せられるのだった。ジャンジャン。

正編のでたらめさと違って、この続編はいちおう史実の流れに立脚したうえでのドラマになっているのでさいごまで居眠りしないで鑑賞することができました。


わらわらと松の廊下を駆けにけり 茫洋

Wednesday, December 08, 2010

山本薩夫監督「忍びの者」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.64

村山知義の原作を昭和37(1962)年に山本薩夫が映画化した大映映画だが、これは漫画以下のおそまつな出来栄え。市川雷蔵が扮する石川五右衛門が主人公でその恋人が藤村志保というコンビもいまだ青臭く、稚拙な演技をいたずらに繰り広げる。むしろ伊賀一族を弾圧する織田信長の若山富三郎などのほうが、よっぽど安心して見物していられる。

全篇まるで現実味のない忍者ごっこ大会にあって、多少興味深いのは五右衛門の師、百地三太夫を演じる伊藤雄之助が、三太夫と対立する武将を掛け持ちで演じていること。これはたんに2役を兼ねているだけではなくて、そういうプロットになっているのである。

そんな複雑な性格の恩師から伊賀の忍者としての手引きを受け、泥棒の使命も果たし、女体の蜜の味も知った五右衛門。得意の忍びの術を駆使して安土城に潜入し、天井から垂らした糸を伝わらせて熟睡中の信長の口に毒液を注ぎ込む。

信長はたしかにそれを口中にし、のたうちまわって苦しむが結局一命をとりとめてしまうのが、見ている方もはがゆい限りである。まあ映画だから仕方がないが、あんなに強烈な毒薬なのに、どうして死んじまわないのか、と思ってしまう。

結局信長のために伊賀一族は殲滅され、あわれ百地三太夫も死んでしまう。運の強い五右衛門は愛妻ともども生き残り、その後の物語が続くことになるのだが、これほどつまならい映画にどうして続編ができたのか不思議でならない。


円安の時は黙って左団扇円高になれば泣いて文句言う幼児の如き輸出企業 茫洋

Tuesday, December 07, 2010

原護監督・三谷幸喜原作脚本の「笑の大学」を見る

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.63

監督は誰でもいいが、あくまでも原作と脚本を書いた三谷幸喜の作品である。

時は昭和一五年。太平洋戦争突入寸前の浅草のボードヴィル劇団「笑の大学」の座付き作者稲垣吾朗が、警視庁保安課検閲係の役所広司と繰り広げる脚本検閲をめぐる熱い戦いの物語である。

最初は芝居やお笑いなどとは全く無縁のお堅い軍人だった役所が、はじめてその面白さを知り、次第に魅入られ、しまいには脚本に注文をつけるどころか提案をしたり、役者になって演じたりするように劇的に変身していくさまが、終始警視庁の取調室を舞台に繰り広げられていく。

検閲側の再三再四にわたる修正要求に対して、座付き作者は「無か全か」の二者択一の道を選ばず、あの手この手でゲリラ的に突破していくのだが、権力と表現の自由の対立がとうとうその極点に達し、座付き作者は「絶対に笑いが起こらない笑劇」を書かざるを得なくなる。

しかしちょうどその時、座付き作者に赤紙がやって来て、映画は、人生における笑いの意義にめざめた検閲係が、この稀有の才能を持つ喜劇作家の貴重な生命を案ずる「絶対に死ぬな。無事に帰ってこい!」の絶叫とともに幕を閉じ、観客の涙を誘うのであるが、そういうお決まりのフォーマットよりも、私は三谷幸喜の手になる前代未聞の「絶対に笑いが起こらない笑劇」のシナリオを見聞きしたかったのである。


なにゆえに福田の里より電話しないホームステイの息子よ元気か 茫洋

Monday, December 06, 2010

三谷幸喜脚本・監督の「みんなのいえ」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.62

三谷幸喜は題材を見つけるのが非常にうまいが、これもほぼそれに尽きている。恐らくは彼自身の個人的な体験がこのユニークな喜劇を生みだしたのだろう。

一生に3軒作らないと理想的な家はできないとよく言われるが、普通の人はたった1度のチャンスに全知全能全予算をあげて勝負に出る。これが人生最大のドラマでなくてなんだろう。私も30年前の体験を懐かしく振り返ったことだった。

この作品では設計を担当するモダン派の唐沢寿明と建築を請け負った純日本派の大工田中邦衛の激突が最大の見どころ。本当は施主の若い2人がきちんとコントロールしなければいけないのだが、ちょうどいまの菅首相のように玄関のドアの内外の開き方にさえもイニシアチブを発揮できないために、事態は観客の予想通りにますます紛糾していくのである。

しかし道中いろいろあっても、最後は新旧両派がお互いを認め合い、シャンシャンと手打ちして立派な住宅が完成する。当初6畳のはずだった和室が20畳!になってしまった点を除けば、あまりにも当たり前の住宅だったからちょっと拍子抜けだった。

これは喜劇映画なのだから、もっと映画を面白くするために、たとえば最近亡くなった荒川修作の「養老天命反転地」のような、現代人の住まいの本質に迫るような建築物を画面に登場させてほしかったとも思うのである。


ひだりぎっちょなので小便も左に向かって飛んで行く 茫洋

Sunday, December 05, 2010

三谷幸喜原作・脚本・監督の「ラヂオの時間」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.61

一人の主婦が書いた処女脚本が、プロの演出家やプロデューサー、役者、マネージャー、スポンサーたちの思惑によってあれよあれよと思う間もなくどんどん書きかえられ、修正されていく。

はじめは国内のパチンコ屋の主婦をめぐるラブストーリーだったはずが、主役のタレント(落ち目の元スターを戸田恵子が好演)の我が儘からニューヨークのやり手の女弁護士に変更となり、それが脇役の怒りと動揺を買ってラジオドラマの生収録は前代未聞の危機に遭遇するのだが、こういうジエットコースター式爆走プロットが面白くないはずがない。

喜劇にうってつけの題材を見出した三谷幸喜は、このうえない奇想天外なアイデアを随所で連発し、その類稀な才能とセンスを本作で思う存分発揮している。

次々に勃発する難問奇問を解決していくプロデューサー役にぴたりとはまった西村雅彦、理不尽な変更に頭を痛めるディレクターの唐沢寿明、ヒロインの相手役を務める細川俊之、井上順、生真面目なアナウンサーの並樹史朗、引退した効果マンの藤村俊二、トラック野郎の渡辺謙など、どの役者も三谷の脚本に徹底的に奉仕して、わが国では珍しい自然な笑いの洪水を生みだしているのである。

その笑いは昨今のテレビや映画を占拠している吉本興業などの「下品で芸のない笑えないお笑い」ではなく、計画的に熟慮された上品なユーモアとウイットで構成されている点がなにより尊いと思うのである。

様々な制約があっても、脚本家の役割がハリウッドなどと比べていちじるしく軽んじられている悪条件下においても、それでもなお「良いドラマと良い笑いを目指そう」とする三谷幸喜の善き志が、よく伝わってくる彼の見事な代表作である。


いっちょ戦争でもやりたいなとアホ餓鬼ども騒ぐ 茫洋

Saturday, December 04, 2010

オーソン・ウェルズ監督の「黒い罠」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.60

ファルスタッフのように醜く肥満した体躯にどんとのっかっている「ごんずい」のような顔の上部から照射される鋭い眼光……。

悪をやらせたら天下無敵の男オーソン・ウェルズが、正義派チャールトン・ヘストンを向こうに回して暗躍し、結局は完全に喰ってしまうハリウッド製フィルム・ノワールの異色作品です。

最初メキシコ人麻薬捜査官として新妻ジャネット・リーとアメリカメキシコ国境の町に登場したときには確かにこの映画の主役と思われたはずのヘストンが、次第に悪徳刑事ウエルズの妖気漂う存在感にからめとられ、大詰めの溝川落ちのくだりでは完全にお株を奪われていくカルトなゆくたてを白黒画面でじっくりと見せてくれます。

不気味ついでにウェルズの昔の女マレーネ・デートリッヒまで友情出演して、あのけっして瞬きをしない暗い瞳を見せてくれるから堪えられません。

けれどもこの映画のいちばんの見せどころは、ウェルズの指嗾を受けたちんぴらメキシコ野郎どもがメキシコ人捜査官の若妻ジャネット・リーちゃんを誘拐し、裸にひんむいて麻薬やヘロイン注射を打ってヘロヘロにするところ。

太腿もあらわにベッドに横たわるリーちゃんの乱れた肢体は、まことにおんなにかつえた男性どもの欲望の餌食となる。目のご馳走とはこのことでげす。

そんな怪作に勝手に編集改竄を加えたハリウッドに対して、怒り心頭に発したオーソン・ウェルズは、これを最後に欧州に河岸を変え、二度と故国に戻らなかったのでした。


なにゆえにいまごろ生まれしか黄色なタテハ 茫洋

Friday, December 03, 2010

「車谷長吉全集第三巻」を読んで

照る日曇る日 第390回

一か月がかりで大部の「車谷長吉全集第三巻」をやっとこさっとこ読みあげて次のようなことが判明した。

車谷長吉は、常に頭陀袋と抜き身の剣をぶら下げた平成最後の文士である。

車谷長吉は、人生の本質は淋しさであり、その淋しさは人が他の動物と違って死ぬことを知っているからだということをよく知っている。

「人は生きながらにしてすでに死人であり、それが人間の悲しみである」(『物狂ほしけれ』より引用)

三人の嫁はんと姦通し、反近代主義者を標榜する車谷長吉は、いつも猿股を穿き、ズボンの社会の窓を開けていて、時々三省堂書店の前で立ち小便をする。

車谷長吉は、死ぬまで「四苦八苦」するのが人の世であると思うている。
「四苦八苦」とは生・老・病・死の四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四苦を加えたものである。ちなみに五陰とは、色・受・想・行・識をいう。

車谷長吉の唯一の楽しみは、本郷の自宅で飼っているクワガタムシやウシガエルに昔風の名前を付けて、四帖半の畳の上に放して一緒に遊ぶことである。

48歳の車谷長吉は浅草で「わたし貧乏でもいい、しみじみした生活ができれば」というてくれた49歳の女(詩人の高橋順子)と結婚した。ともに初婚であった。長吉は朝寝している妻のパンツをそっとひきおろして、そのやわらかな尻の隙間を見ることがある。

そんな車谷夫妻は、高浜虚子の勧めで俳體詩「童謡」をホトトギスに書いた夏目漱石を近代日本最高の詩人だと考えている。その詩とは次のようなものである。

源兵衛が 練馬村から
大根を 馬の背につけ
御歳暮に 持て来てくれた

源兵衛が 手拭でもて
股引の 埃をはたき
薹どこに 腰をおろしてる

源兵衛が 烟草をふかす
遠慮なく 臭いのをふかす
すぱすぱと 平気でふかす

源兵衛に どうだと聞いたら
さうでがす 相變わらずで
こん年も 寒いと言った

源兵衛が 烟草のむまに
源兵衛の 馬が垣根の
白と赤の 山茶花を食った

源兵衛の 烟草あ臭いが
源兵衛は 好きなぢぢいだ
源兵衛の 馬は悪馬だ


最後に車谷長吉は、世にいう「福澤心訓七則」を心の掟にしている。

世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことです。

世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないことです。

世の中で一番さびしいことは、する仕事のないことです。

世の中で一番みにくいことは、他人の生活をうらやむことです。

世の中で一番尊いことは、人のために奉仕し、けしって恩に着せないことです。

世の中で一番美しいことは、すべてのものに愛情を持つことです。

世の中で一番悲しいことは、うそをつくことです。


車谷長吉は、上の七カ条のうちで一番難しいのは、「すべてのものに愛情を持つこと」だと言うておるが、私も同感だ。


喰うてひりつるんで迷ふ世界虫 上天子より下庶人まで 司馬江漢

痩我慢しながら野に生きし福澤諭吉の七つの教え 茫洋

Thursday, December 02, 2010

ダンテの「神曲」を読んで

照る日曇る日 第389回

キリスト教世界では聖書に次いで重要とされるとかいうこの本。これまで野上素一、寿岳文章両先生の訳で読みましたがどうにもこうにも陸に上った海鼠のように面白くもおかしくもない喰えない書物。いったいどこが世界の名著なのかと頭を悩まし続けておりましたが、このたびの平川裕弘先生の定評ある翻訳を地獄・煉獄・天国とつらつら彷徨してもさっぱり興味がわいてこないのでした。

その原因はきっと私がキリスト教徒ではなく、神も地獄も天国も信じていないからでしょう。それでも地獄の恐ろしげな描写はわが国の仏教の様々な地獄絵図でもお馴染みであり、蛇に我身を食らわれたり糞尿の海に生きながら永遠に漬けられたりすれば嫌だなあという思いはあるのですが、詩人ウェルギリウスのガイドから離れたダンテが、ゆくゆくは天国に入るための予備校として、これまでに犯した罪の清めを行う煉獄界というみょうちきりんな世界に入っていく辺りでは「その嘘ほんまかいな」という無知で無信仰な庶民の健全な良識がにょきにょき頭をもたげてこないわけにはまいりませぬ。

そもそもキリスト生誕以前に活躍したギリシア、ローマの神々やホメロス、ソクラテス、オデッセウス、アキレウスなどの偉大な詩人、哲学者、英雄が紀元1300年頃のフィレンツエで党派闘争に明け暮れていたイタリアの小詩人によって有罪宣告を受けて、哀れ地獄や煉獄に落され、なんで塗炭の苦しみを味あわなければならないのか。

いくらキリストとキリスト教が偉大であるからというて、その創始者と教義と教会がこの世に誕生すらしていない時代に生きた無数の秀いでた無信仰者たちを、地獄・煉獄・天国のアバウトな3つの境界に投げ入れることなぞ、それこそ神様お釈迦さまでも出来るわけがない。

ローマ帝国を制覇した新興勢力のキリスト教が、ギリシアローマの古い神々を皆殺しにしたあとで教会の祭壇から追放して地獄においやるという構図は、わが国のアマテラス神話を政治文学的に編集した「古事記」と瓜二つで、それと同じ宗教文学史の書き換えを、遅まきながら14世紀の西欧で美辞麗句を並べたててやってのけたのがダンテというわけです。

それにしてもはじめの地獄篇ではそこそこ読むに堪えた彼の詩文が、想い人ベアトリーチェに導かれて水星、金星、太陽と舞い上がる天国篇において急激に天与の霊感を失い、なんの変哲もない神様万歳ハレルヤ晴れるやの御託の羅列に堕するのはなぜでしょう。

思うにベアトリーチェに再会するやいなや、彼の浮気と変節を厳しくなじられてしまったダンテが思いっきり自信喪失した当然の報いかもしれません。


なんだって後出しじゃんけんで偉さうに歴史を裁くなダンテ 茫洋

Wednesday, December 01, 2010

イングマール・ベルイマン監督の「サラバンド」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.59


昨日の「ある結婚の風景」の2003年製作の続編です。

それぞれ60代と80代に達したマリアン(リブ・ウルマン)とユーハン(エルランド・ヨセフソン)がユーハンの別荘で久しぶりに再会。そこで繰り広げられる新たな血族の葛藤をスエーデンが生んだ希代の名監督が衰えを知らぬ熱意と卓越した映画技法で描いています。

ユーハンの息子ヘンリックと一人娘カーリンの葛藤、音楽家をめざす娘の父親からの自立をマリアンとユーハンがやきもきしながら見守る形で物語が進行していくのですが、音楽の扱いが見事です。

「ある結婚の風景」ではまったく劇中音楽を使わなかったベルイマンでしたが、本作ではヘンリクが森の中の教会で演奏するバッハのトリオソナタのオルガン演奏、息子を愛せないユーハンが聴き入るブルクナーの第9番シンフォニーの咆哮、そして父との別れでカーリンが奏でるバッハの無伴奏チェロソナタ第5番のサラバンドが絶妙な劇的効果をあげています。

父と涙ながらに決別し、祖父が用意した道をも蹴って自力でクラウディオ・アバドとの共演をかちとり、チェリストへの道を歩む若き美少女カーリンに当時85歳の老監督が次代への希望を託した遺言であり祈りでもあるような映画です。


ゆいいつの欠点は、最新のデジタル技法を駆使して撮影したにもかかわらず照明が不安定で、あらゆる画面で明暗が不自然に点滅されることです。


ロシアといえばイワンの馬鹿を思うロシアの馬鹿 茫洋