照る日曇る日第509回
新進気鋭、というよりは今や論壇の主流に躍り出て大活躍の「男のおばさん」によるアットホームな雰囲気の対談集である。
3.11の大震災が来るまでは「日本の王道」というタイトルで出版されるはずが、内田の提案でこともなげに急遽「文脈」に変更したというのであるが、ここら辺は「武士」への憧憬を隠そうともしない現役武道家の抜く手も見せぬ早業を感じさせる。
私はこの文武両道、日猶兼用の思想家が唱える師レヴィナス譲りの「始原の遅れ」哲学とか、「すべての人間的営為は「贈与と反対給付」よって構成されている」などという学説には俄かに同意できないが、彼が中沢選手と共に推奨している「廃県置藩」は大賛成だ。
官僚統治の効率化をめざして急速に膨れ上がる中央集権的共同体を破壊的に再分化して司法・軍事・行政区画を再び江戸時代の藩の状態に復元したり、あるいは吉里吉里国のように三三五五自立独立化すれば、昨近の無責任政治やアホ馬鹿白痴市民の大増殖にも少しは歯止めが掛かるだろう。
沖縄にしてもヤマト&アメリカ両国と一日も早く手を切って非武装中立の新琉球国を旗揚げすれば、彼らの米軍基地問題は速やかに解決するに違いない。もし衆議一決すれば、日本やアメリカや中国やロシアや北朝鮮やインドやイスラエルやイランと張り合って核武装するも諸君の選択肢の裡にある。
それはともかくこの座談の中でいちばん面白かったのは能の話で、バレエの主役が舞台で死んだら公演は中止になるが、能の舞台では最後までやる。シテが死んだら後見が死体を「切戸口」から出して代わりに舞うことになっているそうだ。
能は死霊たちが出現する芸術であるとは承知していたが、「切戸口」は老子のいう「玄牝の門」(子宮口)であり、その対極線にある目付柱がファロス(男性器)であるとは知らなんだ。これを要するに、能舞台とはラカンがいう穴のあいた三間四方の無限宇宙であり、生(性)が、死霊と激しく交感するエロスの殿堂なのであった。
桜万朶関東平野駆け巡る 蝶人
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Thursday, April 12, 2012
Thursday, April 05, 2012
小林正樹監督の「人間の條件・第3部望郷篇」を見て
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.222
大卒の満鉄エリート社員でありながら2等兵として営倉に放り込まれた梶は初年兵としての過酷な任務に耐えながら帝国陸軍のおそるべき非人間性と直面していく。この極限の世界では異端の思想者と肉体的精神的な弱者はますます差別され過酷な取り扱いを蒙るのである。
ちなみに梶役の仲代達也は監督小林正樹の命で大船撮影所で1ヶ月間の初年兵教育を受けたそうだ。軍隊経験のあるリアリストの面目が、ここでも遺憾なく発揮されている。
しかしこの映画では、千里の道を遠しとせず兵営に駆けつけた美千子が梶と物置小屋で一夜を共にするが、当時いくらなんでもこういうことをする女性はいなかっただろうし、上層部がこういう温情で2人に配慮するようなこともなかっただろう。原作と映画の虚構に違いない。
梶と同期の小原2等兵(田中邦衛)は行軍に遅れ便所で自殺するが、もし私が当時この年齢で兵隊に取られたとしたら、きっと小原と同じ状態に追い込まれていただろう。
梶と思想を同じくする新城1等兵(佐藤慶)は隙をついて国境の彼方に脱走を図る。ソ連への過大な幻想を描く新城と疑問視する梶の違いがここで表面に出たが、新城の逃避行を成功させるために、梶は新兵を暴行する吉田上等兵の追跡を阻止し結果的に彼を死に追いやる。
負傷して入院した梶は看護婦(岩崎加根子)とほのかな慕情を交わし合うのだが、やがて運命は彼をもっと過酷な死線へと押し出していくのである。
稼働基準の前に原発容認否認を国民に問えどぜう政権 蝶人
大卒の満鉄エリート社員でありながら2等兵として営倉に放り込まれた梶は初年兵としての過酷な任務に耐えながら帝国陸軍のおそるべき非人間性と直面していく。この極限の世界では異端の思想者と肉体的精神的な弱者はますます差別され過酷な取り扱いを蒙るのである。
ちなみに梶役の仲代達也は監督小林正樹の命で大船撮影所で1ヶ月間の初年兵教育を受けたそうだ。軍隊経験のあるリアリストの面目が、ここでも遺憾なく発揮されている。
しかしこの映画では、千里の道を遠しとせず兵営に駆けつけた美千子が梶と物置小屋で一夜を共にするが、当時いくらなんでもこういうことをする女性はいなかっただろうし、上層部がこういう温情で2人に配慮するようなこともなかっただろう。原作と映画の虚構に違いない。
梶と同期の小原2等兵(田中邦衛)は行軍に遅れ便所で自殺するが、もし私が当時この年齢で兵隊に取られたとしたら、きっと小原と同じ状態に追い込まれていただろう。
梶と思想を同じくする新城1等兵(佐藤慶)は隙をついて国境の彼方に脱走を図る。ソ連への過大な幻想を描く新城と疑問視する梶の違いがここで表面に出たが、新城の逃避行を成功させるために、梶は新兵を暴行する吉田上等兵の追跡を阻止し結果的に彼を死に追いやる。
負傷して入院した梶は看護婦(岩崎加根子)とほのかな慕情を交わし合うのだが、やがて運命は彼をもっと過酷な死線へと押し出していくのである。
稼働基準の前に原発容認否認を国民に問えどぜう政権 蝶人
Thursday, December 15, 2011
奥富敬之著「吾妻鏡の謎」を読んで
照る日曇る日第472回$鎌倉ちょっと不思議な物語第254回
何の期待もなくたまたま手に取ってしまった一冊の本でしたが、長年に亘って吾妻鏡を読み込み独自の研究を続けてきた著者によるこの遺著は、予想外の収穫がありました。
鎌倉幕府の終わりが近づいたころに編まれたこの本は、もちろん「北条氏による北条氏のための北条氏の歴史書」なのですが著者は類書とはまったく別の視角からその問題点を次々に俎板に載せて筆鋒鋭く疑惑を解明してゆきます。
例えば富士川合戦など実在しなかったこと、平家よりももともと源氏のほうが水軍に強かったこと、鎌倉幕府の成立は頼朝ゆかりの御家人が自主的に一揆(決起して同盟の契りを結んだ)治承4年12月12日の亥の刻であること、その「一揆」組の統一と団結に逆らって自分勝手な「独歩」を敢行し、兄の乗馬を曳くのが武士として極めて名誉なことであることにすら無知で下賤の身であったからこそ、頼朝は義経を切り捨てたこと。
そしてこの「独歩」を粛清して「一揆」を守ることが鎌倉幕府の組織原理であったこと、「独歩」路線を強行する(北条氏を除く)あまりにも強大な御家人の長(下総介広常、梶原景時、比企能員、畠山重忠、和田義盛等)は、その組織原理からもたらされる「権力の平均化」政策によって粛清されるが、その場合でも一族を皆殺しにすることは頼朝以降もなかったこと、実朝暗殺の真相をもっとも正確に伝えているのは「吾妻鏡」ではなく「愚管抄」であり、暗殺の黒幕は意外にも北条義時ではなく三浦義村であり、暗殺者公暁の協力者がいた鶴岡二十五坊には多くの平家の残党が僧侶に姿を変えて潜んでいたこと、
などなどが、豊富な文献証拠と著者ならではの鋭い推理と直観できわめて大きな説得力をもって論証してあります。本書は、これから鎌倉幕府と「吾妻鏡」を研究しようとする人にとって必読の書といえるでしょう。
何の期待もなくたまたま手に取ってしまった一冊の本でしたが、長年に亘って吾妻鏡を読み込み独自の研究を続けてきた著者によるこの遺著は、予想外の収穫がありました。
鎌倉幕府の終わりが近づいたころに編まれたこの本は、もちろん「北条氏による北条氏のための北条氏の歴史書」なのですが著者は類書とはまったく別の視角からその問題点を次々に俎板に載せて筆鋒鋭く疑惑を解明してゆきます。
例えば富士川合戦など実在しなかったこと、平家よりももともと源氏のほうが水軍に強かったこと、鎌倉幕府の成立は頼朝ゆかりの御家人が自主的に一揆(決起して同盟の契りを結んだ)治承4年12月12日の亥の刻であること、その「一揆」組の統一と団結に逆らって自分勝手な「独歩」を敢行し、兄の乗馬を曳くのが武士として極めて名誉なことであることにすら無知で下賤の身であったからこそ、頼朝は義経を切り捨てたこと。
そしてこの「独歩」を粛清して「一揆」を守ることが鎌倉幕府の組織原理であったこと、「独歩」路線を強行する(北条氏を除く)あまりにも強大な御家人の長(下総介広常、梶原景時、比企能員、畠山重忠、和田義盛等)は、その組織原理からもたらされる「権力の平均化」政策によって粛清されるが、その場合でも一族を皆殺しにすることは頼朝以降もなかったこと、実朝暗殺の真相をもっとも正確に伝えているのは「吾妻鏡」ではなく「愚管抄」であり、暗殺の黒幕は意外にも北条義時ではなく三浦義村であり、暗殺者公暁の協力者がいた鶴岡二十五坊には多くの平家の残党が僧侶に姿を変えて潜んでいたこと、
などなどが、豊富な文献証拠と著者ならではの鋭い推理と直観できわめて大きな説得力をもって論証してあります。本書は、これから鎌倉幕府と「吾妻鏡」を研究しようとする人にとって必読の書といえるでしょう。
Monday, August 22, 2011
本郷館を訪ねて
茫洋物見遊山記第61回&勝手に建築観光第42回
東京本郷森川町の「本郷館」が近々取り壊されるという悲しいニュースをマイミクさんから耳にして、久しぶりに現場に立って見ました。
本郷館は築106年の古い木造建築で、東大の正門から200メートルほど離れた細い下り坂に沿って雲にそびえる3階建の下宿なのです。延べ面積は約300坪、中庭を囲むようにしてなんと76室があり、かつて作家の林芙美子や多くの学生がここで青春時代を送りました。
今年の3・11の激震にも耐えて1世紀の風雪を越えてきたこの歴史的建造物を保存しようと、地元の住人をはじめ「本郷館を考える会」や多くの人々が努力を続けてきましたが、家主の意向でとうとう8月から解体工事が始まってしまいました。
私がここをはじめて訪れたのは今から20年以上前で、森川町をぶらぶら散歩していた私の目の前に突然出現した建物の思いがかない巨大さと周囲を圧倒するような独特の存在感に圧倒されたものです。
すぐ近所では本郷館を題材にした絵や写真、詩などが街頭に掲示され、この由緒ある建造物の名残を惜しんでいました。
古の森川町なる本郷館生まれ変わりて住みたきものを 蝶人
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