Friday, December 24, 2010

長谷の「甘縄神明宮」を訪ねて

鎌倉ちょっと不思議な物語第238回&茫洋物見遊山記第51回

甘は海女、縄は漁の縄という説があるそうですが、さあどうでしょうか。この甘縄神明神社、別名甘縄神明宮は天照大御神を祀っていますが、和銅年間(708-715年)にこのあたりの豪族染谷太郎時忠が建てた鎌倉で一番古い神社といわれています。頼朝の祖父頼義、父の義家の代から源氏にゆかりのある神社です。

神社のたもとには頼朝の最有力の御家人の一人であった安達藤九郎盛長屋敷跡という鎌倉青年団が建てた立派な石碑があり、往時は神社の前が彼の広大な武家屋敷であったと推定されていましたが、最近の研究では安達一族の本拠はここ甘縄ではなく、いまの鎌倉市役所の南方にある佐助近辺の無量寺谷にあったと考えられています。

頼朝が毎日のように訪問したり、宝治合戦の折に安達景盛の軍勢が鶴岡八幡宮を突き切って三浦泰村邸に突撃するためには、安達の本拠がはるか遠方の甘縄では吾妻鏡の記述と平仄が合わないからです。ここ無量寺谷の中心に所在した無量寿院が安達家の菩提寺でありました。

 しかし北条家と密接な姻戚関係を取り結んだ安達家の歴史を物語るかのように、この甘縄神明宮の石段の下には小さな井戸があり、「「北条時宗公産湯の井」という札が立っています。「北条経時や時宗の母である松下禅尼は安達氏出身ですから、そういう伝説が生まれたのでしょう」と鎌倉市教育員会発行の「かまくら子ども風土記」には書かれています。甘縄神明宮のすぐ傍には川端康成邸がありますが、近所の人の話では、この辺りではいまでも時折「山の音」が聴こえるそうです。


山の音はわが心韻にして神韻なり山の音す 茫洋

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